NEWS WEEK は商売上手

先週号のNEWS WEEK 日本版は、「韓国自滅外交」という見出しが躍っていて、つい手に取ってしまった。買う時からうまいところを突いてくるな、と思ったのだけれど(いまの日本人の気分のスイートスポットを着いてくると言う意味で)こんなツイートがたまたまひっかかった。

武田 肇 / Hajimu Takeda on Twitter: "@cogoc ニューズウィーク韓国語版、日本語版、それぞれ編集者は誠実だと思いますが、直接並べてみると「実に商売上手」と思ってしまいます。しかし、それは双方の社会、メディア状況がわかりやすく反映された事象に過ぎないのでしょう。ナショナリズムはビジネスなんだなあと痛感させられます。"

韓国のNewsweek では当然違う見出し。当たり前だが、ちょっと商売上手って感じ。
肝心の記事については。

韓国も日本も、アメリカを無条件に当てにするな、と言う記事が良かったかな。

「寒い国から帰ってきたスパイ」 ジョン ル・カレ著  ハヤカワ文庫

前から読みたかった本だけれど、ハヤカワ文庫の判型が改まって、活字が大きくなり、目の悪い僕にも読みやすくなって漸く手が出た。
時代設定が60年ぐらい前だから、大時代なスパイものなのだが、あまり古さは感じなかった。
冷戦時代の、特に共産主義政府における恐るべき非人間性、それに劣らぬ西側情報機関の無常なトリック。翻弄されるスパイ。しかしスパイも人間で、年金を気にすれば、女に惚れもする。確かにジェームズ・ボンドとは全然誓った世界。
プロットは見事であるし、結末も胸にしみるが、途中尋問のシーンが長くちょっと読む方としてはダレた。特に二人の対話でどちらが発言しているか分からないような箇所がいくつもあって。文脈を確認すれば分かるのだが、こういう技法上の問題はおそらく作者が習熟する内に解決されて居るのだろう。本作は作者3冊目で、メジャーになった出世作のようなので、今後幾つかの作品を読んでみたい。

俺たちバブル入行組     池井戸 潤著  文春文庫

下町ロケット直木賞を受賞した作家の以前の作品である。
どんな作風か、試し読みのつもりで古本屋で100円で購入して、暫く積ん読状態であったのを、先週末一気に読了。
一口で言って面白かった。バブル期の就職活動の様子や、銀行の融資の手続き、行内人事など、年代は違うけれど、また業種も違うけれど、広い意味で同じビジネスの世界に居る、あるいは就職という課程を経てきたサラリーマンとして興味がもてた。また、大阪の国税の振る舞い方など、人づてに聞いたことのある様子と附合して笑ってしまった。
プロットは、ある意味単純で、上司の悪巧みによって窮地に陥った主人公がめげずに頑張って、最後には復讐を果たすというもの。主人公のキャラクターが途中から、半スーパーマン的に見えてきて、また勧善懲悪のこしらえがはっきりしていて、僕としてはやや興ざめの部分もあったけれど、山場で夢中になって、電車を乗り過ごすほどであったのも事実。
 文章のリーダビリティはなかなか。変に捻ったところがなく読みやすい小説だった。
ということで、星三つ。
企業小説として、この作家の本を幾つか読んでみたいという気になった。

今朝の朝日新聞に書いてあったこと

といっても、付録のbe の青い方だけど。お金の扱いに関するフリーライターの方の記事に、挿絵があり、キャプションが。
「無限に続く家事に対処するには、頭でなく反射神経で動かなければ。。」
というような文言。
そうだよね、、と深く感じ入ってしまった。
僕はいちいち考えてしまう悪い癖があり、それは「こういう家事というのも、カミュが言うところの、シーシュポスの神話というやつかなあ、つらいなあ」などというまるで役に立たないものなのであって、スケジュールは無限に遅れていく、やらなければならない家事、身の回りの雑事は無限に積み上がっていってしまうわけだ。
 むしろ反射神経でどんどん片付けていった方が良いわけだよね。
うんうん。
 というわけで、今日片付けたかと言えば、まだまだなのだが。
 年末に向けて、少しは整理する方向で、前向きに検討したいと考えているところであります。
トホホ。

「戦争の犬たち」 フレデリック フォーサイス著 角川文庫 読了

フォーサイスの短編がけっこう好きなので、長編の手始めに読み始めた。
すでに書いたように現代とは時代の違いが顕著。ここではフォーサイスの世界観、政治観が明確に出ていて、あるいは出過ぎていて、小説としてはご都合主義に過ぎる、という気がするが、もちろん部分部分では読者を引き込むところがある。
冒頭のアフリカで亡命していく将軍の描写。
シティで奸計を巡らせる資本家。
しかしなによりの読みどころは、戦争より、戦争の準備のための100日だろう。これはちょっと特殊な読み方かもしれないけれど、サラリーマンとして輸出入にちょっとだけ関わったことのある(多分多くの勤め人が関わったことがあるレベルだけれど)僕としては、法の網をくぐり抜けて、いかに武器を集め、アフリカまで運ぶか、というロジスティックスの部分が詳細で面白かった。この詳細さがいかにもフォーサイスらしいところで有る。
この小説を読むと、日本などと取引に関する構えが違って、完全に信用はできないが、しかし手順をきっちり踏んで、時には手を結んでいく、商売をしていく、という感じがよくわかる。人間関係が大事と言うこと。
それから、金で買えない人間はいない、という資本家の人間観とそれへの嫌悪感を感じることができる。けれども感触はウェットでは無く、あくまでもドライ。
プロットとしては、あらっぽくて穴があると思うけれど、時代が変わってもいまに通じる人間観、世界観、アフリカの現状をみるに、大いに読むに値する本であったと思う。

「フェミニズムの時代を生きて」 岩波現代文庫

数ヶ月前に読んで、感想を書きたいと思っていて延び延びになっていた。
僕は中年男性だし、この本の中で上野千鶴子先生が言っている「当事者性」がないわけで、まずその意味でフェミニストではないし、また世間で「女性を尊重する男性」という通俗的な意味で流通している「フェミニスト」でもない。前に書いたかもしれないけれど、男におごられて喜ぶような女はおかしい、と言っている西原理恵子には深く共感するものであるし、男女平等なのだから、明らかにアンフェアな扱いは止めるべきだと思うが、女性を変に優遇しようという気持はない。
では、なぜフェミニズム系の本を読むかというと、面白いからである。斎藤美奈子の文芸評論はまじめで、きちんと元手が掛かっていてしかも芸がある。(このごろけっこう説教くさいという気もするが)。斎藤美奈子が推薦していた落合恵美子教授の本は確かに目から鱗本であった。小倉千加子先生は大変な才能の持ち主で、「松田聖子論」の歌詞分析、「結婚の条件」の生存・依存・保存という分類も才気煥発たるものがある。上野千鶴子先生の言うことには分からないことも多いのだが、そして無駄に政治的ではないか、と思わないでもないが、小倉先生との丁々発止のやりとりにはやはり深く考えさせられるものがある。なにより彼女は代表選手として頑張っている。
で、なぜ面白いと感じるのかと考えてみると、僕自身が男性としての枠組み、勤め人としての枠組みの中で忸怩たる思いや違和感を感じていると言うことがあって、そういう事々に対して、解法を与える、と言うところまでは行かないまでも、解毒剤にはなっているからではないか、と思う。
 さて、この本は、上野千鶴子とその先行世代の2人の女性学者が時間をかけて語り合ったものである。
 一口で言うと非常に読みがいがある。上野千鶴子について言えば、著書や小倉千加子とのやりとりだけでない多面的な発言、また指摘を受ける部分があってそれだけ理解に役立った。
 西川、荻野の両先生は僕のような一般読者が読むような本は出されていないようだが、それぞれに知的で、率直できっぱりとした発言をされている。それぞれに地位もある人たちがこれだけ率直に語って、本になるということが、男性学者だったらあり得るかと考えてみると、なかなか難しいだろうと思う。女性学というのがそういう雰囲気を生みやすい、まだ新しい学問分野であると言うこともあるのだろうけれど。
 中で、西川先生の裁判の話はなかなか興味深かった。
 幾分婉曲に話されているが、大阪大学を相手に、一旦決定された採用の手続きがいっこうになされないことに対し、裁判を起こしたというものらしい。
 僕もサラリーマンをそれなりに続けているので少しは分かるが、日本社会の有る共同体の中で、その共同体の一部を相手取って裁判を起こすのはよほどの決意であるし、そのことが引き起こした軋轢も並大抵のものでは無かったであろうと思う。実際、西川先生のアカデミズムでのキャリアは新設校を回る、と言うものになったと言うことだ。要するにヒエラルキーの中心からは遠ざけられたのだ。
 なお、この3名の先生は、むちゃくちゃ頭がいいわけで、女子学生の比率がとても少なかった中で(特に西川先生)トップレベルの大学を出てしかも学究の道に進んでいるのである。差別的な意味では無く、女性の中でもやはり特別な人たちであるのは間違いないと思う。
 また、語られていることにすべて賛成しているわけではない。僕としては理解不能、あるいはそうでもないのでは、と思うこともある。
それにしても 対話の密度の濃さ、レベルの高さは再読を促すものがある。いつかまた読んでみよう、と思える時がきっと来ると思う。

フェミニズムの時代を生きて (岩波現代文庫)

フェミニズムの時代を生きて (岩波現代文庫)