「職業としてのAV女優」  幻冬舎新書

よくわからない世界について知識を得られたと言うことで、読んだかいがあったけれど、AVの仕事を肯定的に見る視線、そのビジネス書のような文体に違和感を覚えてしまった。それは僕の偏見なのであろうが。
リスクの一杯ある業界だと言うことは説明しているし、巻末ではできれば関わらない方がいい、とも言っているのであるけれど。
うまく自分の感じたむずむずする感じを表現できないが。もろもろのやるせなさ、とでも言っておこうか。

小林秀雄の顔

小林秀雄の顔を初めて見たのは中学の頃だったと思うが、もちろん写真でだけれど、白髪の老人で、好々爺然とした風貌がとても印象的であった。当時は大学入試のために読まねばならない本の第一は小林秀雄だった。
後に中年期の小林秀雄の写真を何かの本で見ると、これがとても生臭くてびっくりするほどだった。中年期からあぶらがぬけて、良い感じの老人になったのだな、と思った。
中上健次との昔の対談「小林秀雄を超えて」で、柄谷行人は、小林秀雄は本質的にプラトン的で、どんなものを書いても一つの真実に収斂させてしまう、だからいつかいたものなのか、分からなくなってしまう、と批判している。
この言葉が、晩年の小林秀雄の、僕の好きな肖像写真と結びついた。何でも知っているし、何を聞いても動じずに応えてくれる。世界を見切ったまなざし、それがまさに老年の小林秀雄、柄谷が言うところのプラトン的な小林秀雄だ。
しかし、世界はプラトン的に割り切れるわけじゃないし、小林秀雄が物事をすべてみきれるわけないでしょ、と柄谷は言っている面があると思う。
それは正当な批判だと思う。と同時に、やはり小林秀雄の老年の肖像は魅力的なのだ。だれでもそういう場所に行きたい、という思いがあるのでは無いか。人生の後半戦にはね。

小林秀雄の対談本「人間の建設」読了

面白かった。一番つまらないのは、茂木健一郎の解説だった。間違ったことを書いているとは思わないが、もっとコンパクトに簡明に書けるのに。
さて、この対談本には面白い点が沢山あって、これから小林秀雄を読んで行く上でけっこう読み直すことになるかもしれない。
昭和40年の対談なのに古びた感じがしないのは不思議。

小林秀雄の対談本について

昨日買った、岡潔小林秀雄の対談、「人間の建設」を早速読んでいる。昭和40年の本である。ここで語られていることがほとんど現在に当てはまる、(教育がだめだ、とか科学が理屈に走って、破壊することだけになってしまっているとか)ことに驚く。先見性と言うより、古びていないと言うこと、同じ課題をずっと抱えているのだと言うこと。
すでにハイゼンベルグ量子論に眼を届かせている事にも驚いた。
柄谷行人の専売特許じゃ無かったのね。
小林秀雄が、若い時より日本酒がまずくなった、と嘆いていることに微苦笑。当時は日本酒の暗黒時代である。このことについてはちょっと話を聞いたことがある。いまの辛口日本酒なら、少しは見直したのではないかしら。

僕にとって原宿は遠かった

昨日のつづき、と言うか補足。
小泉今日子、「原宿百景」において、文章は平明且つ明確で、パンダのananをさらに深めようという気合いの感じられるものなのだけれど、それは個人的な事を妙に糊塗せず語る、と言う点でも、母との関係を客観的に掘り下げた点でも見事だけれど、その種となるものはすべてパンダのananにあった事も事実。この時点で、例えば結婚について語る事だってできたはずだがそういうことはしていない。そのあたりが、僕としてはちょっと食い足りなく感じられる点ではある。
で、原宿。この対談では、ほんとに内輪のサークル内だけの話って言う感じがちょっとしてしまう。原宿に過去、50年を超える人生で多分5回ぐらいしか行ったことのない、ファッションに興味の無い僕には、どうしようもない世界で、だから悔しいわけでもないし、困るわけでもない。つまり、小さい世界の話、って言ったらいけないのかな。
もちろん小泉今日子は例えば和田誠との対談の中で、おっ、と思うような鋭い発言をしていてそれはなかなかなのだけれど、全体としては僕には遠い世界の話で、なによりそれがこまらないというところが、小泉今日子研究においては困ったものなのでありました。

原宿百景 (SWITCH LIBRARY)

原宿百景 (SWITCH LIBRARY)

あ、この表紙の写真はよい。彼女のタレントとしての最大の武器である無敵の笑顔を封印した、等身大の私、っていう感じの覚悟が感じられる写真である。

「原宿百景」を読了

長い時間が掛かった。文章はやはり達者。しかし分量は少なく、また題材も大きく言えば、pandaのananの範囲を出るものではない。あとは原宿を舞台に小泉今日子を巡る人々との対談。それも八十年代、九十年代を回顧する形が多いから、まあ、どちらかと言えば後ろ向き? 決してセンチメンタルではないが。ということで、一言で言えば、僕にとってはパンダのan・anを超えるものではなかった。
 うーむ。

「それってどうなの主義」 斎藤美奈子著 文春文庫 感想文

だいぶ前に、古本屋で百円で買ったもの。主に九十年代の新聞雑誌に書いた雑文・評論?を集めたもの。という種類の本は、なかなか焦点が定まらずにつまらないと言うことが往々にしてあるわけで、この本もそういうところがないわけではない。
あと、斎藤さんの題をつけるセンスが、いまいちずれている、それも本人の意識しない、例えば人で言えば体格とか、後ろ姿とか言う部分でちょっとずれている、ずれていると言って悪ければ著者が意識していない効果が出ているような気がする。 面白いところを狙っていながら意外に角が出ているような。まあ、角が出ていてもいいわけではあるが。僕が「それってどうなの」という言い回しが好きではないだけかもしれないけれど。
「ものはいいよう」でも感じたのだけれど、説教くさくなってしまうと、言っていることが正しいなと思っても、とたんに読む気を無くしてしまうのである。
 記事によって、その後10年あまり後の変化についてフォローが入っているところが本を丁寧に作る著者らしい。読み進むにつれて、なるほどそんなこともあったな、と思うことも多く、楽しく読めた。
 僕なりに突っ込みたい話題はいろいろあるが、実はこの本の白眉は、池上彰による解説だったのかもしれない。
 著者の批評精神を称揚し、文体を模倣して見せ、かと思うと部分的には著者の知見を自己の取材体験によって訂正し、石原都知事に対する著者のスクウェアな批判的態度を褒め称え、軟弱な態度に見せて自分もさりげなくチンピラ都知事と言い放つ!!
 チンピラ都知事ですよ、チンピラ都知事斎藤美奈子どころではない。骨があるなあ。
 もっとも僕は石原都知事がそれほど嫌いではないのだけれど。(政治家としては評価しません)
 解説を読んだだけでも、この本を読んだかいがあった。いや、本文も面白かったけれど。

それってどうなの主義 (文春文庫)

それってどうなの主義 (文春文庫)