中国史を地球的視座から読み解く、経済と社会の変化と展望

感想文「シリーズ中国の歴史⑤ 「中国」の形成」  岡本隆司著  岩波新書

 

昨年10月に中公新書で「物語 中国の歴史」について感想文をアップしているのに続いて、さらに詳しい本が読みたくなり手にした一冊。中国史は人気があるのだろう、本屋には様々な本が並んでいるが、その中では手にしやすい、しかしそれなりに最近の学問的成果がもられたシリーズなのだろうと思う。
 全五巻の目論見は、単なる王朝史ではなく、グローバルな時代(現代)に相応しく世界の中の多元的な中国の顔と姿に迫ること、とのことである。
 第⑤巻は、概ね17世紀初頭から20世紀初頭まで、清の勃興からその滅亡までを扱うこととなる。
 著者によれば、17世紀は危機の時代だったのであり、14世紀から始まった地球の寒冷化がピークに達し、新大陸の銀産出の減少なども加わり、不況になった。しかし、イギリスはその危機を乗り越え、財政軍事国家を作り上げた。これは、「国家が、税収・公債で効率的に集めた巨大な財源をもって、その資金を効率的に火器・海軍をはじめとする軍事力の革新・増強に投入し、それを通じて世界中を収奪することで、いよいよ富強を増すシステム」とのことである。
 そしてこのシステムを基盤に「イギリスは産業革命をなしとげ、19世紀の世界を制覇する」とされる。
 一方、東アジアにおいては、明が滅び清がおこり、その支配体制が確立していき、大いに栄える訳であるが、そして本書が中国史の本である以上、清が少数民族でありながらいかに巧みに(そこには幸運もあったと思われるが)支配体制を拡げていくかがその軍事、民政、各皇帝の政策などを通じて語られるのであるが、通底する問題意識として、そのような中国もこの時代やはりグローバルな世界経済に結びついていたと言う事(例えば乾隆時代の好況はイギリス帝国からの銀の流入なしには考えられない)と、世界に冠たる帝国であり、人的にも文明としても優れていた中国で資本主義がなぜ勃興しなかったということである。 私なりに言い換えれば、中国はイギリスのような財政軍事国家を作り上げることができなかったのはなぜか、と言うことになる。
 中国が中央統制的な資本の蓄積ができなかった点については、新しい研究成果が様々述べられていて大変興味深かった。一つあげれば、銀と銅の二重通貨制が事実上ひかれていたこと、銅銭は地域的な流通の壁が有ったこと、また社会構成が上層と下層と、それらを結びつける中間の、それぞれの地方の有力者などの多様な層が存在して、国家の直接の経済支配ができていなかったことなどが指摘されている。いずれにしろ、清朝は国家的な規模での巨額の資本の蓄積ができなかった、実は中国の金持ちの資本はそこが浅く、何かあると金に困っていたと言うのである。
 宮崎市定乾隆帝の贅沢三昧をさして、良くもここまで、と嘆じたとも記されているが、皇帝の貴族的な奢侈は近代的な国家規模の資本蓄積とは、質的にもまた量的にも異なっていたと言わざるを得ない。清は、アヘン戦争で、英国の獰猛で巨大な資本の力に敗れたとも言えるだろう。
 
 イギリス・ヨーロッパは、中国を偉大な帝国とみていたが、イギリスはやがてインドと中国と本国の三国間貿易を編み出し、茶を輸入するが、銀で支払うのではなく、インドのアヘンを流入させるようにさせ自国の銀の流出を防いだ。次第に中国の軍事的にはさほどでもない姿が見えてくると、各国が競って侵略し、大日本帝国も含まれていた。
 しかしながら、清朝が滅び、帝国主義的侵略と国内の分裂を経て、様々な紆余曲折を経て数々の混乱・悲劇が有ったとしても、現在統一国家を保持し、清朝時代とほぼ同様の版図を保っているのは驚異的だと言えるかも知れない。

 英雄列伝的歴史物語知識にとどまらず、地球的視座を組み入れた新たな世界史の一環としての中国史という点で、また経済の発展と社会構造の変化を見いだそうとしている点で私にとっては新しい中国史の視点を得ることができ、大変興味深く読むことができた。