「武器としての「資本論」」 白井聡著 東洋経済  感想文

白井聡氏は、「永続敗戦論」で名をあげた(と、素人の私には思える)学者である。本のカバーに掲載された紹介によれば1977年生まれであり、京都精華大学教員となっている。若いが、この年代であれば、准教授とか、教授などという肩書きであってもおかしくないと思うが、教員とはどういうことか。語学でも教えているのか。組織の無言の同調圧力に一切妥協せずに生きている人であって、だから通常の学者のコースに乗っていないと言うことなのだろうか。
余計なお世話ではあるが、著者のこの肩書きが、私が著者の人物像を理解する上で一定の要素になっていることは否めない。
 かつて読んだ永続敗戦論は大変面白かった。私の中でモヤモヤしていたものを上手く暴いてくれた、感じていたものに名前をきちんと与えてくれたと言う気がしたものだ。
 
 さて、本書であるが、資本論の入門書的なものは沢山出ていて、何冊か読んでいるし、それぞれに興味深かったのであるが、(例:佐藤優の本など)この本は、論点を絞りかつ、筆者の主張がはっきりしているので、わかりやすかった。
 とは言え、残念ながら資本論について本格的に論ずる力などないので、(というかまず読んでいない)ここでは、私として理解が一歩進んだと考える点を書いておこう。
1.資本主義とは何か。
社会の物質代謝の大半が商品を介して行われる社会。
そして商品の生産を(労働力)商品が行う、それが資本主義社会である。そして、資本主義社会においては、「大半」の度合いが高まり続ける。商品の交換の特製は後腐れがないこと。資本制の発達によって共同体としての人間のつながりは狭まっていく。

2.新自由主義は人間の魂、センスまで変えてしまった。
 それは、資本主義に包摂された人間を作り出した。思考様式や、感受性までも資本主義的な生産過程に沿った、適応した人間を作り出した。そのような人間は効率性や生産性を重んじる価値観を内面化しているから、例えば「寅さん」のようないかにも非生産的でやくただずで、迷惑ばかり掛けている人間に共感がもてない。かつて国民的映画であった「寅さんシリーズ」を楽しむ事ができない。

3.フォーディズム労働分配率を上げて消費者としての労働者を育成すること)によって、豊かな中産階級が生まれ、資本主義の幸せな好回転が生まれたかに見えたが、今やそのバランスは崩れ、資本の増殖のために労働者はさらに搾取されている。典型的に現れているのが、派遣労働者に象徴される賃金の引き下げ、人件費の変動費化である。かつて、私が若い頃には、賃金の下方硬直性(賃金は下げにくい)という言葉があったが、今ではすっかり陳腐化してしまった。

4.私たちが労働力商品としての能力を高め、洗練されて行けば行くほど私たちの人生はつまらなくなる。なぜなら、人間としての成熟や人生はそこでは必ずしも必要ではないから。私たちは、真面目で真剣であるほど、つまらない意味のない人生をただ効率的な労働力商品として生きていくのかもしれない。
 
5.資本の目的は資本の増殖であって、人間の幸せではない。

6.そのほか、本源的蓄積、剰余価値、などマルクス経済学の基本的タームをはじめて知ったり、また定義をはっきりと読めたのは良かった。というかこれからもっとはっきりさせるための、考えるための手がかりを得たと言うべきか。

7.「労働日」 と言うところで、剰余価値について弾力があると言っているところは、
私たちが必要と感じるものが、そんなにはっきりと計量されるわけではないし、最低限の必要を他者に安易に定義されてはたまらない。だから、著者も、急に具体的、身体的な話になるが、美味いものを食うと言うことぐらいはっきりと求めるべきだし実現されるべきだと主張している。
 ちなみによく言われるようにイギリスの食べ物がまずいのは、エンクロージャーによって共同体が破壊され、共同体のレシピ、共通の食体験が失われたことが大きいと述べられている。きっと、一見豊かな現代日本にも通じる話に違いない。

さて、私自身は左翼思想は持っていないし、殆ど嫌悪感を抱いていると言っても良いのだけれど、一方で豊かだと言われた日本もどんどん貧乏になり、国際的にも地位が低下してきていることがはっきりしてきたと感じられ、これを脱するために、単なる経済発展理論では何を言った事にもならない、役に立たないと思うことしきりである。

 今の閉塞した社会、コロナ禍によって、むしろ遅れた国であったことが露わになった日本の社会、パンデミックに襲われた世界をどう理解したらいいのか。
と言うと大げさであるが、GDPと株価至上の経済成長論と、精神論と、日本特別論と、歪んで不純なヒューマニズムの繰り返しとしか思えない言論と社会の動きに分析の刃を向けるための有効な一冊だと考える。