「諦念後」  小田嶋 隆著  亜紀書房

小田嶋氏は1956年生まれ、2022年6月に惜しくも病気のために世を去った。
私より数年年長であるが、ほぼ同世代と言うことになる。
 小田嶋氏が晩年(今となってはそう言わざるを得ないが)に日経ビジネスなどに連載していたエッセイ、また、twitterでの書き込みは、実に苦い現実認識がありながら、細部を穿った、ほかの書き手が定型の言い回しや文章構成で済ませてしまうところを敢えて裏の裏まで想像力を巡らせて書いていて、私は小田嶋氏のエッセイを見つけるといつも読むのが楽しみであった。
 また、小田嶋氏はテレビに出演することはまれであったと思うが次の事は書いておきたい。 
 第二次安倍政権下、2019年3月のタイムスタンプがついているが、自宅でランダムにTV録画しているなかに、たまたま部分的な録画が残っていたのだが、まだ国谷裕子氏が司会をしていたNHKのクローズアップ現代に出演した際、行政や政治で使われる言葉もポエム化しつつあり、それに抗するために「美しい日本」という言葉なら、どこが美しいのか面倒くさいやつだと思われても問い直さなくてはいけない、と言う趣旨の発言をしている。
 「美しい日本」という言葉はポエムだといっている訳だ。そのことは多くの人が同意するだろう。しかし、テレビで、はっきりポエムだとうけとられる文脈で発言したのだ。見ていて度胸があるなあ、と印象に残ったものだ。安倍政権全盛のあの雰囲気を覚えている人なら、テレビ局が忖度しまくりであったことは忘れてはいないだろう。そのなかでの言葉である。
 つまり、小田嶋 隆氏は、そういう人だったのだ。単なる反骨などと単純に言ってはいけない。コラムニストが吹けば飛ぶような存在である事はよくよく心得ている。しかし権力を持つもののずるさや抜け目なさ、狡猾さには人一倍敏感でおそらく自分でも嫌気がさすぐらいに、その手つきが見えてしまう。見えてしまうから不機嫌になりつつも書かなくてはならない。その際に、コラムニストとしての文体、形式に賭ける矜恃が怒りや無力感から彼を支えたのかも知れない。ありきたりの表現を選び、感受性にオブラートを掛け、同調していけばよほど楽であったに違いない。
 
 さて、本書「諦念後」についてである。雑誌連載を纏めたものとのことだが、途中入院もあり、遺作といっても良いのかも知れない。しかし、小田嶋節はさえにさえている。
 諦念とは、もちろんサラリーマンの定年に掛けているのである。仕事から離れた初老の男達が、手を出すようなこと、蕎麦打ちとか、ギターとかを実際に体験しながらこもごも感じたことなどを記した連作体験ルポルタージュ風エッセイであるのだが、当然ながら単なる体験記に終わるはずもなく、諦念という書き換えに暗示された以上の、苦く強烈な締めの文章がこれでもかと言うほどに続いている。
 例えば、冒頭の「そば打ち」の結末は次のように綴られる。
「打ったそばは、大変にうまかった。理由はおそらくいい汗をかいたからだ。・・・・
 老後で大切なのは単純作業に身を投じることだ。
 なんとも凡庸な教訓だが、凡庸でない教訓など信じるに値しない。なんとなれば、男がトシを取るということは、自分が積み上げてきた凡庸さと和解することだからだ。」
 と綴られる。
 青春の詩をうたったというサミュエル・ウルマンとは対極にある鋭い言葉だ。だが、サミュエル・ウルマン馬鹿と言う言葉があるように、サミュエル・ウルマンにすがる老人も、ナイーブな若さへの渇望に捉えられているとすれば、やはり小田嶋氏の言葉から逃れられないと言う事なのだろう。
 あるいは、脳梗塞で入院した体験を綴った文章の結末は次のようなものだ。
 「死ぬ事に関して特段の心構えは要らない。生きてさえいれば必ず死ねる。心配は無用だ。」
 老年に達した井上靖に、小林秀雄は、君もそろそろ死に支度をしなくてはね、と言ったそうだ。今思い出したが、晩年の井上靖は「美しく老いたい」と言っていたと思う。ちょっと曖昧な記憶であるが。(この「美しく老いたい」という言葉はかなり微妙な臭みを感じさせそうだが、井上靖なら、許せる気もする。)
 いずれにしろ、小田嶋氏の言葉は、死に支度も美しい老年も蹴っ飛ばしている。言われてみれば頷くしかないことである。また、「生きてさえいれば必ず死ねる」という言い回しは、しばしば現れる「生きてさえいれば、報われる(およびそのバリエーションの言い回し)。」の人生の知恵風、のコンテクストを借りながら肩透かしを食わせて見事である。
 改めて思うが、その通りである。誰でも必ず死ねるのである。死んでしまえば、後のことを心配しようがないのである。小林秀雄井上靖がなんだか美学に拘泥する姑息な老人に見えてくる。いや、それは私が生きると言うことの実相を知らなすぎる咎であろうけれど。
 ネタバレではあるけれど、結末だけ幾つか引用してしまったが、そこに至る文章もそれぞれに練られたものである。
 老年とは難しいものだ。確かに諦念後というのは、単なるしゃれではなくて自覚するべき事なのかも知れない。小田嶋氏は、コラムニストの骨法を守りながらも、実はずっと深くて遠い地点にまで射程を拡げてこれらの文章を綴っていたのかも知れない。
 合掌。