感想文「ジョブ型雇用社会とは何か」  濱口桂一郎著  岩波新書 

サラリーマン時代に人事労務的な仕事をやったこともあり、ジョブ型雇用とは何か、よく理解したいと考えてかつて購入した本である。
 日本における多種多様で錯綜した労働環境(正社員・派遣社員・パート社員、請負契約、etc.,)、それらの歴史的変遷、外国人労働者・女性活躍の課題、などなど日本の労働者は一体どんな歴史的環境のなかで働いているのか、ますます解りにくくなっているなかで、単にジョブ型労働契約の定義を語るだけでは話は済まず、日本における労働形態の変遷、世界の労働組合の歴史などにも目配りされて語られる。悪名高き外国人技能実習制度の変遷、定年後再雇用の問題、なども射程に入る。と言う事で、大変勉強になったのだが、全体を簡素に纏める事は難しく、また抽象的に纏めても意味がないと思うので、ジョブ型とはなにか、について私なりに読み取った点を記しておきたい。

 ビジネス界で、はやり言葉のように使われるようになった「ジョブ型雇用」という言葉は濱口氏が著書において、日本の労働契約の形態をメンバーシップ型、日本以外の主に欧米の労働契約の形態をジョブ型と名付けた事によって始まったとのことである。
 西欧諸国では、そもそも労働契約を結ぶ際にどういう仕事をするのか、細かく決めて労働契約書に書き込んでおく。しかし、日本では、私もそうであったし、サラリーマンならよく知っていることであろうが、労働契約書は紙一枚、書かれていることはごく簡単で、会社の命令に従い誠実に仕事をすること、と言った内容であるのが普通である。
 どのような仕事をするか、どこで勤務するかなどは一切書かれておらず、通常入社後に配属発表があり、北海道で営業だったり、東京で総務だったり、名古屋で技術開発だったりするわけである。この採用、契約、配属の形態には、新卒一括採用、大学の勉強内容が仕事と結びつけられていないことなど様々な問題が絡み合っているが、ここでは省く。
 日本の企業では、大事な事はある会社のメンバーになることであって、そこでどんな仕事をするかは会社にお任せというわけである。これが、著者がメンバーシップ制という所以である。
 会社にとっては都合の良い制度であるし、社員にとっては指示通り仕事をするから、お給料はきちんと下さい、それなりに出世させて下さい、一生雇用して下さい、と言う制度である。
 ジョブ型は、必要になった仕事について必要な人員を採用するのが基本だから、その仕事がなくなれば、雇用契約を終了するのは正当である。著者によれば、ここで勘違いしてはいけないのは、解雇することが簡単だというわけではないと言うことだとのことである。例外として米国では、差別的な扱いによって(例えば人種、性別、年齢)によって解雇したら法律違反で大問題になるが、仕事がなくなり解雇するのは正当であるので、少なくとも法的には責められない。しかし、ヨーロッパなどでは様々な解雇規制があるとのことである。
 ジョブ型においては、仕事に欠員が生じたら、その仕事ができる労働者を採用するので、新卒一括採用と言う事が馴染まない。日本では採用してから育てることが前提となっているが、ジョブ型では、そもそもある仕事ができる前提で採用しているので、大半の業務においては改めて考課・査定的な事はしない。ジョブ型でもミスマッチはあるだろうが、ある仕事ができなかったとすれば、事前に仕事の内容はきちんと示して、また応募者もみずからのスペックを詳細に示しているはずだから、どこに問題があったのかは、日本より明快に分かるはずだ。
 ところが日本では、新人は将来性・能力を出身大学や学部で推し量って採用するわけで、通常年に2回から3回、能力が発揮されているか、実績が挙がっているか、ほぼ全社員に考課・査定を行うのである。ここで問題が生じる。そもそもどういうジョブを行うか曖昧なので、仕事の成果についてははっきりと評価できない。そこで、「やる気」が「能力」として成果の代替値として用いられがちになってくるというのは論理的である。 
 その度合いが甚だしくなれば、やってる感だけは出すのが上手い社員も当然出てくるだろう。
 これだけでも、単なる労働契約の形態の違いではなく、会社のあり方、ビジネスマンの人生設計、価値観、社会の構造までかかわる要素を含むことがよく分かる。
 会社に属するのが大事であるのであれば、仕事の成果は二の次となるマインドが醸成されてもおかしくはない。しかし、高度成長期には社会全体が底上げされていったから落ちこぼれなくみんなで豊かになって行こうという仕組みがそれなりに上手く廻っていたのだろう。しかし、日本社会および経済が他の諸国と比べて相対的に下り坂になるにつれて、そういう暢気なことはいっていられなくなって来ている。会社の売り買いは当たり前になって来たし、生産性を高めるために、社員は余裕なく働かざるを得なくなっている。にも拘わらず仕組みはあまり変わらないから、善し悪しは別としても利益の追求に対して目的合理的な西欧諸国の雇用形態にかなわないのである。それをなし崩しに変えていこうとすれば弱い立場の労働者にしわ寄せが及ぶのは目に見えている。
   
 以上のように、大枠の私の理解を述べただけでも、日本の労働形態が歴史的、経済的に錯綜した状況のなかにある上に、グローバル化による強い圧力にも晒され、にっちもさっちもいかない状況におかれていることが感じられる。
 単にジョブ型雇用契約を導入すれば解決するような問題とはとても思えない。
 社会全体を見渡し、タイムスパンをそれなりに考えた上での将来構想を明確にし、国民的議論・理解の下に、多様な改革を手順をよく考えて進めて行くことがが必須であると感じた一冊であった。