王朝史との異なる視点:人口の視点から見る中国史

感想文 人口の中国史  上田 信著  岩波新書

 
 何事にも出会いというものはあるもので、この本は古本屋の店先の安売りワゴンで見つけたものである。110円であった。2020年初版であるし、傷みもなく、中国史の本を続けて読んでいた時であったので、買っておいてもよいか、と言う気持ちであった。

 さて、感想としては、期待以上に得るものがあり、面白かった。
理由を以下記す。
 人口という観点で先史時代から十九世紀までも俯瞰すると、王朝史とはまた別の歴史の流れが見えてくる。
 例えば、後漢は、劉邦が打ち立て武帝など華々しい皇帝が現れた前漢に比べてぱっとしない王朝とみられることが多いが、人口史の観点で見ると、戦争をなるべく控えて、民を増やした王朝と言えるとのことである。大層立派なことではないか。例えば、西暦八十五年には妊娠した女性に対して「胎養穀」として一人に三斗の穀物を配給し、その夫には人頭税の負担を免除するという政策を打ち出したそうである。考え方も方法も、現代日本よりむしろ進んでいるのではと思われるくらいの政策である。(2024/03/08 追記:このことは、後漢の政治家が近代的であった、先進的であったと言う事ではなく、そのような言い方自体が言わば発展・進歩史観にとらわれているのであって、国が栄えると言う基本には、民が安寧に暮らし人口が増えていくと言う事が基本の基である事を素直に考えれば、誰でも思い至る政策ではないか。このような政策に素直に至らない社会に暮らしているとすれば、現代はむしろ何かにとらわれ、不幸な時代なのかも知れない。)
 
 さて、そもそも、人口史と銘打たれているものの、人口の統計は先史時代から正確にたどれるわけはなく、その時代時代の史書や、税務にかかわる文書、行政の記録、個人が残した文書、そして日本人にはなじみがないが、一族の系譜を事細かに纏めた文書などによって、間接的に探っていく。論語にも明らかなとおり、文化的に男尊女卑の価値観が根強くあり、女子はものの数ではなく、文字通り記録されない場合が多々あり、何らかの仮定の下に、ピースがあまりにも欠けているジグソーパズルを並べていくような地道な推定をせざるを得ない。学問とはこういうものか。
 限界をわきまえた上で、人口の動きを見ると、人口は時代のみならず地域別に大きく流動している点が興味深い点である。
 また特に資料が次第に整備されてきた清の時代の詳細な分析は清王朝の政策、経済や技術の進歩、などが朧気に見えてくるようで素人にも面白い。清の時代の資本主義の胎動を感じさせるような経済活動とそのための人の移動は、やがて清の衰弱、太平天国の戦乱などによって潰えてしまうのだが、誠に興味深い。また、銅銭と銀貨経済との対比は、すでに読んだ「シリーズ中国の歴史⑤ 「中国」の形成」(岩波新書)でも触れられていたが、やや捉える観点が違うようだ。このあたりは専門的な領域になると思うので、また別の本で読めたらと思う。

 長い歴史を通じて、一つ感じたのは戦乱は人口を減少させるという当たり前の事、また征服王朝は被支配民に対して容赦ないということだ。近代以前、人の命はそんなに大切なものではなかったのだ。また、日本人には分かりにくいが、強制的な移住(自発的な移民ではない)が長い歴史のなかで当たり前のようにしばしば行われている。もっともこれは中国だけではなく、他の国でも行われているし、スターリンも行っている。そのような言葉が明確に残っていない日本という国は幸せなのかも知れない。

 通常とは異なった観点から通史を見通すことで鮮やかに見えてくるものがあることを知り、大変有意義な本であった。