「フェミニズムの時代を生きて」 岩波現代文庫

数ヶ月前に読んで、感想を書きたいと思っていて延び延びになっていた。
僕は中年男性だし、この本の中で上野千鶴子先生が言っている「当事者性」がないわけで、まずその意味でフェミニストではないし、また世間で「女性を尊重する男性」という通俗的な意味で流通している「フェミニスト」でもない。前に書いたかもしれないけれど、男におごられて喜ぶような女はおかしい、と言っている西原理恵子には深く共感するものであるし、男女平等なのだから、明らかにアンフェアな扱いは止めるべきだと思うが、女性を変に優遇しようという気持はない。
では、なぜフェミニズム系の本を読むかというと、面白いからである。斎藤美奈子の文芸評論はまじめで、きちんと元手が掛かっていてしかも芸がある。(このごろけっこう説教くさいという気もするが)。斎藤美奈子が推薦していた落合恵美子教授の本は確かに目から鱗本であった。小倉千加子先生は大変な才能の持ち主で、「松田聖子論」の歌詞分析、「結婚の条件」の生存・依存・保存という分類も才気煥発たるものがある。上野千鶴子先生の言うことには分からないことも多いのだが、そして無駄に政治的ではないか、と思わないでもないが、小倉先生との丁々発止のやりとりにはやはり深く考えさせられるものがある。なにより彼女は代表選手として頑張っている。
で、なぜ面白いと感じるのかと考えてみると、僕自身が男性としての枠組み、勤め人としての枠組みの中で忸怩たる思いや違和感を感じていると言うことがあって、そういう事々に対して、解法を与える、と言うところまでは行かないまでも、解毒剤にはなっているからではないか、と思う。
 さて、この本は、上野千鶴子とその先行世代の2人の女性学者が時間をかけて語り合ったものである。
 一口で言うと非常に読みがいがある。上野千鶴子について言えば、著書や小倉千加子とのやりとりだけでない多面的な発言、また指摘を受ける部分があってそれだけ理解に役立った。
 西川、荻野の両先生は僕のような一般読者が読むような本は出されていないようだが、それぞれに知的で、率直できっぱりとした発言をされている。それぞれに地位もある人たちがこれだけ率直に語って、本になるということが、男性学者だったらあり得るかと考えてみると、なかなか難しいだろうと思う。女性学というのがそういう雰囲気を生みやすい、まだ新しい学問分野であると言うこともあるのだろうけれど。
 中で、西川先生の裁判の話はなかなか興味深かった。
 幾分婉曲に話されているが、大阪大学を相手に、一旦決定された採用の手続きがいっこうになされないことに対し、裁判を起こしたというものらしい。
 僕もサラリーマンをそれなりに続けているので少しは分かるが、日本社会の有る共同体の中で、その共同体の一部を相手取って裁判を起こすのはよほどの決意であるし、そのことが引き起こした軋轢も並大抵のものでは無かったであろうと思う。実際、西川先生のアカデミズムでのキャリアは新設校を回る、と言うものになったと言うことだ。要するにヒエラルキーの中心からは遠ざけられたのだ。
 なお、この3名の先生は、むちゃくちゃ頭がいいわけで、女子学生の比率がとても少なかった中で(特に西川先生)トップレベルの大学を出てしかも学究の道に進んでいるのである。差別的な意味では無く、女性の中でもやはり特別な人たちであるのは間違いないと思う。
 また、語られていることにすべて賛成しているわけではない。僕としては理解不能、あるいはそうでもないのでは、と思うこともある。
それにしても 対話の密度の濃さ、レベルの高さは再読を促すものがある。いつかまた読んでみよう、と思える時がきっと来ると思う。

フェミニズムの時代を生きて (岩波現代文庫)

フェミニズムの時代を生きて (岩波現代文庫)