女の人生すごろく  小倉千加子著  ちくま文庫  感想

面白い。面白いので、もう読んでしまった。やはり、読書というのは、面白い順、読みやすい順に読んでしまうな。ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」は、昨年わくわくしながら買ったんだけど、そして読むとすばらしいのだけれど、なぜか催眠作用も抜群ですぐ眠くなってしまって進まないのに。
もっとも読んでいる内に以前読んだ記憶が部分的にちらほら。最後の西原理恵子との対談も覚えていたし。
女の人生すごろくに対し、男の人生すごろくがないわけではないし、それはそれでつらいものなのだけれど、小倉千加子が書いているのは、女性というのは、男より弱いもの、従うべきものに付けられた名であって、常に劣勢のもの、常に配分の少ないものとされているということだ。
そして、社会の建前とは異なって、女性は小さい頃から世の中の無意識領域の「本音」を見抜き、それに即した生存戦略をとっている、と言うことが語られる。普通、僕らが女らしい、ととらえているもの、女性の長所、あるいは短所と捉えているものの多くは、その生存戦略の結果なのだ。
 1988年頃の講演が元になっている。1988年というから今から、24年ほど前になる。当時の短大生は、もう40代半ばである。また、当時はバブル経済のピークに向かって、経済活動がたいへん活発であった時期であった。昭和の末期にも当たる。
講演が元と言うこともあり、大変読みやすく分かりやすい。女はくだもの、男はけだもの、など小倉千加子らしい言葉のうまさも随所に。もちろん単なる語呂合わせではなく、それぞれに深い意味があるのだけれど。
僕はサラリーマンなので、女性が就職、および職場でどう対応しているか、と言う点を特に興味深く読んだ。
 おじさん達は女性に何を求めているかと言う点には、頷ける点多し。ただし、この講演が行われた1988年当時と比べて、変化した点もある。例えば当時のおじさん達は、僕がつとめている会社でも、それぞれ別の湯飲み茶碗をもっていて朝の最初のお茶を当番で女性が淹れてくれていたものだが、とっくにカップホルダー・セルフサービスに取って代わられている。コピーも役職者であっても自分でやっている。いわゆる女性のお茶くみ・コピー業務はぐっと減っている。また女性は以前より、結婚退職しなくなった。勢い、女性の仕事は高度化せざるを得なくなり、それだけかえって厳しくなっているかもしれない。
甘い意見かもしれないが、企業はもっと労働力としての女性の活用を進めなければ生産性の向上が鈍くなってしまうだろう。当然、管理職や経営レベルにも進出してしかるべきであるし、また、ブルーカラーの領域でも(例えば力仕事であっても補助器具の活用によって進出可能だ)どんどん出て行くべきである。そのためには、むしろ男性の側の意識改革が必要であろうし、一時的にはアファーマティブ アクションのようなものが必要かもしれない。
資本主義がこれだけ進展し、家庭内の労働も貨幣によって計量され、外注化されるようになってきた中で、女性の労働をフェアに計量しないのは、結局経済の健全化につながらないだろう。
 そのほか、論点多数。何しろ、「ザ フェミニズム」の時にも書いたが、常識をひっくり返してくれる快感がたまらない。もっとも鋭い舌鋒は当然男である僕自身にも深く突き刺さりうるものなのだけれど。一つだけ蛇足を付け加えると、僕は女性に理解ある男になりたいわけでも、フェミニストになりたいわけでもない。そういう言い方自体が、反発を食らうものだろうし。以前書いたように「凡庸な改良主義者」と自分自身を感じているし、同時にオーソドックスな意味での「立派な男性性」の確立に失敗した男性ではないか、という思いがある。そういう人間にとって、この本は男女の区別を超えて大変示唆的なのだ。
西原理恵子との対談も読みがいがある。西原理恵子の作品も突っ込んで行きたくなってしまった。小泉今日子の後にね。
 あ、毎日かあさんでクロスするな。楽しみが一つ増えました。

女の人生すごろく (ちくま文庫)

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