「元彼の遺言状」 新川帆立著 宝島社文庫

久々のミステリー作品である。2020年に「第19回このミステリーがすごい大賞」を受賞した作品と言うことである。綾瀬はるか主演でドラマ化もされている。
 私自身は、ミステリーは好きなのだが、最近の大量に出版されるミステリーの中で何を読んで良いかわからず、定評のある古典や海外作品を時々読むぐらいだった。
しかし、たまたま、下記の有隣堂書店のyoutube 配信で作者が登場しているのを見て興味を持ち、どういう作品か、作者の言葉と引き比べてみようと本書を手に取ったのである。
https://www.youtube.com/watch?v=r0e218zXqWY
なお、この配信自体は、約2年前のもので、ドラマ化される前のものだと思う。

結論は、面白かった。 
ただ、それは私が思い入れを持ってしまう部分があったので、それを除くと75点ぐらいかなあ、と思う。点を付けるというのも作品の評価として大雑把かもしれないが。とは言え、合格点は60点だから、優に近い良と言うところか。エンターテインメントであるミステリーの場合、トリックの出来具合や、プロット、伏線の張り方やその回収の仕方など、ドライに欠点を見つけることもできるし、点数を付けても作者には失礼にならないだろう。
 私が、興味を持ったのは、作者の新川帆立氏自身が、並の小説の主人公よりキャラが立っていたからだ。米国ダラス生まれ。東大法学部卒 東大の法科大学院を経て司法試験合格。司法修習中にプロ雀士試験に首席で合格。企業を相手にする渉外弁護士になるも、数年で辞めて、企業の法務部へ。もともと作家になりたいという希望があり、(16歳ぐらいで、我が輩は猫であるを読んだことがきっかけであるそうだ)作家への道を歩みはじめる。「このミス」に通るために5つの法則を見いだし、それに則って書いた作品が本作と言うことだそうだ。
 大変な秀才で、テストで良い点とるのは得意ですからと、まるで肉じゃがつくるのは得意ですからと言うように言ってのける。参りました。ルックスに言及するのは失礼だと思うが、若くて可愛らしいし、彼女自身を主人公にした小説も成り立つのではないかと思ってしまう。現在はやはり弁護士をしているパートナーとともに海外に在住しているらしい。
 さて小説である。
 ドラマ化されてもいるので、ストーリーは省略する。
美点として感じたこと。作者の5つのポイントに沿って述べる。
1.主人公のキャラが立っている。
美人で頭がよく、実力でバリバリ仕事をして金を稼ぐことを臆面もなく主張する。ドラマの綾瀬はるかはぴったりの役どころ。
 作者の渉外弁護士という経験が生きているし、有価証券報告書を取り寄せて、株式の持ち分を確認し、資産額を概算するところなど、ビジネスマンで法務や営業のスタッフ部門の経験のあるものなら、そうそう、と頷ける場面だ。
2.華やかさ。 
作者が挙げた5つのポイントの二つ目が華やかさである。先の動画では、これは簡単なポイントで、例えば金額を大きくすれば良い、と言っている。本作においては、亡くなった御曹司の株の持ち分は1000億円を超え、それ以外の資産も膨大だ。主人公は、数億円の報酬なら断るが、150億円の取り分なら受ける。このあたりのリアリティがなかなかいい。単に金額を大きくすれば良いのでは無くて、現在の日本の富裕層の現実が現れている気がする。この単位のお金が実際にやり取りされているのだ。
3.魅力的な謎。
 犯人に遺贈すると言う、なるほどキャッチーな遺言。
4.新しい設定・素材
 ベンチャー企業を買収するときに持ち株を細かく操作して問題をなくするところが、謎解きの鍵だ。 また、弁護士が、特に渉外弁護士がクライアントにとってどのような働き方をするのか、と言うところも私が仕事上で仄聞したものと整合的で、描かれる事が少なかったものだろうから、これ見よがしには書いていないが、私には面白かった。
5.現代的なテーマを入れる。
 これは、有能な女性が日本社会でどのような立場におかれるか、オヤジが無意識にどのくらいマウントしているか、女性が日本社会で求められる振る舞い方を拒否して動いた場合にどのくらい抵抗を受けるか、その圧に耐えることがどれくらい大変か、(通常の女性の振る舞いからどれくらいかけ離れねばならないか)という点が意外にしみる。
 
 では、この点はいまいちでは、と言う点。
1.マッスルマスターゼットという鍵になるクスリが、ゲノム編集して筋力をつくるというが、ここはもう少し詳しく書くか、あるいは逆に「新薬」程度にぼかして欲しかった。リアリティと新しさの塩梅の難しいところだ。
2.村山弁護士が亡くなるときの、一本飛び出ている煙草の描写がくどい。
  一度言っとけばいいのでは。すぐあれっと思う点だから。あるいはもっとさりげなく描写するべきだ。
3.最終部分で、ベントレーを飛ばして事故るわけだが、全損になるくらいの事故だから身動きできないくらいエアバッグが出るだろう。ここは、省略して欲しくなかった。
4.結末の家族の和解めいたくだり。小学生の時にお兄ちゃんを褒めてと言った、とかいうのは父親との長年の不和の理由としては弱い。主人公は、非常に魅力的だが、その造形にはまだ少し作者が迷っている点がある気がする。
5.最初に結婚を申し込む信夫の位置づけが、弱いのでは。これだけの主人公がなぜ彼に惹かれ、また結婚と言うことを意識するのかわかりにくい。ドラマでは、初回を見た限りでは、省略されているようだ。
6.犯人の動機が弱いのでは。また犯人の人物描写が弱いのでは。もっと書き込んで、動かして欲しかった。それだけ小説としては難しくなるわけだが。

 しかし、伏線の張り方、その回収、意外な犯人、合理的な解決というミステリーの条件をほぼほぼ満たして、最後にカーチェイスの山場もつくるという王道の作品であって、故に75点としたわけである。隔離された別荘での犯罪、というのも王道と言えば王道である。
 続編も読んで見ようと思う。

 蛇足であるが、文章について。
 私はいわゆる純文学を中心に読んできて、谷崎潤一郎文章読本を最近も再読したところだ。と言う目で見ると、作者の文章に無駄な副詞や形容詞を感じるのは仕方のないところかもしれない。一方で、作者のような文章が、今読まれている、文章なのだとも思う。しかし、程度の差はあっても、文章の味わい自体に小説の楽しみを求めるのは、例えエンタメ小説でも悪い事ではないと思うので、作者の文体が変化していくことを今後の私の作者への期待とし、また楽しみとしたい。