物語 ウクライナの歴史 「ヨーロッパ最後の大国」 黒川祐次著 中公新書

2002年8月初版 2022年4月13版
著者は、元外交官であり、ウクライナ大使も務めている。
やはり、ウクライナ戦争が始まった事により、急激に買い求められていると思われる本である。私も、戦争がなければ、少なくともこの時期には買わなかっただろう。
内容は、ウクライナ(現在そう呼ばれる地域)の古代から1991年の独立に至るまでの通史である。
一読して驚いたことは、ウクライナが有史以来、現在の版図をもった独立国としてはほぼ一度も成立していない、と言うことである。
良くロシアとの一体性を言うために例に出される「キエフ・ルーシ公国」も、現代のモスクワ、ベラルーシポーランドの一部などを含んでいるようであるけれど、東部と南部は含んでいない。
その後も、コサックによる独立に近い状態はあるものの、強大化したロシア、ポーランド、また時にはリトアニアスウェーデンハンガリー、ドイツ、そして南にはオスマン トルコ、東からはモンゴルなどその時々に強大化した国家によって蹂躙され、戦場となり、支配されてきた歴史を持つのである。コンパクトな通史であるので、しょっちゅう戦争をして、都市が焼かれ、人々が虐殺されているような印象がある。
このような歴史がある上で、1991年の独立宣言があるのだ。しかし、この独立宣言は20世紀に入って実に6回目のものだという。ロシア革命以降、第二次世界大戦が終わってソ連の一共和国として落ち着くまで、ウクライナ自体の革命主体、また、西部、東部のそれぞれの民族主義的な部隊、そこに周辺国の軍隊が絡み、何が何だかわからないくらい勢力が入り乱れて戦争をするのである。その最終的な勝利者はロシアボルシェビキであった。第二次世界大戦では、ナチスが入り込み、ひどい虐殺を行った。ウクライナ人は、その際両陣営に分かれて闘うこととなった。(ちなみに酷い虐殺をしたのは、ナチスだけではない) 
また、スターリンの民族政策は苛烈であった。ウクライナは基本的に農業国(移住してきたロシア人は主に都市に住んだ)で、スターリンは、農民を反共的で蒙昧な人々とみて憎んでいたのではないか、と著者は言う。穀物を強制的に供出させて、数百万人の餓死者を出させたのだという。さらには強制移住も行っている。ちなみに強制移住帝政ロシア時代にも行われている。現在のウクライナ戦争でも、米国のブリンケン国務長官が、ロシアが90万から160万人のウクライナ人を、ロシアの孤立した地域に強制移住させていると非難したばかりだが(民族濾過と言うらしい)、こうしてみると、このおぞましい手法はロシアのお家芸なのかもしれない。
 このような経緯から、ウクライナにはロシア人は沢山住んでいるし、ポーランド人、ハンガリー人もいるだろう。ゼレンスキー大統領もよく知られているようにユダヤ系である。
なお、佐藤優著「民族問題」にも書かれていたとおり、言葉の問題は大きい。レーニンウクライナ語の使用に比較的寛容であったが、スターリンは厳しく規制しロシア語化をはかった。それでもウクライナ語は生き延びたし、またウクライナが独立する上で、ウクライナ語の公用語化は大きな意味を持っている。ちなみに、マイダン革命の際にすぐ撤回されたとは言え、ロシア語を公用語から外したことが、東部の親ロシア派およびロシア系の人たちを離反させたこともつとに指摘されるところである。

 島国に住み、自国の領土と言語、独立が自明のものと考えやすい日本人(もちろん第二次大戦以前とは版図が異なるし、占領されていた時期があるわけであるが)からは、想像を絶した歴史である。
 安易に理解できるなどとは言わず、異なる歴史的風土がある事を肝に銘じておきたい。