「ペスト」 カミュ著 新潮文庫

随分前に買ってあった文庫本を、夏休みに改めて読み始めて、昨日読み終わった。
久しぶりに、文学的咸興が深くやはり優れた文学は良いと思った小説であった。
オランというフランス領のアフリカの海辺の都市が舞台である。(現在はアルジェリア領)
ペストが流行したことにより、都市が閉鎖され、次々に人々が亡くなっていくなかで、医師であるリウーが、その状況を客観的に捉えようと記録した体裁をとっている。
カミュの代表的名小説であり、大変なベストセラーともなった作品のようである。

さて、私の印象に残ったことを幾つか記す。


1.オーソドックスな、舞台となる都市の紹介から始まる悠然たる語り口に、小説らしい小説、3人称の神の視点から書かれた、医師リウーが、理不尽なパンデミックの襲来にもへこたれずに立ち向かう、ヒューマニスティックな小説だと勝手に思っていた。が、読んで見ると、もっと込み入った構造を持っており、またより思弁的な、それも多様な登場人物によって異なった視点からしばしば独白に近い形で語られる小説であった。しかも小説としての重層的な展開と、構造はしっかり保っている。書きたいことだけを書くという形にはならず、物語としてのダイナミズムが感じられる。

 

2.パヌルー神父
 これは日本人としては、わかりにくいところだ、と言う言い方自体が安易かもしれなくて、もう一度しっかり読み直したいと思う。ペストをキリスト教徒はどう捉えるのか、すなわち、見えない病気に次々に感染し、あるいは感染せず、理由も分からず、あるものは苦しみ死んで行くと言う状況をどう捉えるべきなのか。
 これを単なる神学的な論文と言うことではなく、小説のなかで、閉鎖空間のなかで生きなければならなくなった市民の反応と共に描かれている。
 神父の説教は2回あり、2回目は、酷く苦しんで死ぬ、判事オトンの幼い息子の死に至るまでの戦い(非常に綿密に描かれている)を目の当たりにした後のものである。
子供が苦しみ抜いて死ぬような事態を、神はどのように見ているのか。
 そして神父もペストに感染し、医師に診せることを拒否しながら死ぬのだ。

 

3.タルー
 主人公の分身とも言える、重要人物である。小説のなかで、タルーがノートに書き留めた出来事や人物が直接引用され、重要な部分をなす。
さらに、タルーが自分という人間の来歴をリウーに話しても良いか、と言って、ぜんそく持ちのじいさんの家のテラスに登ったところで話す内容は、この小説のハイライトである。この話は長い。彼の父は判事で、死刑判決を下し、死刑執行に立ち会う事もある。彼自身がある日その光景を目撃する。そのことが、彼のその後の一生を決めてしまう。残酷に人を殺してしまうこと。例え自分がその行為を行ったのではないとしても、その判断を行った人間に、社会に連なっているとしたら、何らかの連関を逃れられない、そのような社会に生きてなお、人間として正しく、まっとうな生き方をするとしたらそれはどのようなものなのか。少なくとも、親の望む判事になることではなくて、と言う具合に話は進む。二人は友達になり、くらい海に泳ぎに行き、つかの間、休息を得るのである。
 だが、タルーもペストが街を去って行くという時に、捉えられ、死んでしまうのだ。


4.ランベール
新聞記者で、たまたまオランに滞在していて、街が突然閉鎖されてしまったために街から出られなくなって、自分は無関係だと言って、役所に掛け合ったり、リウーに頼もうとしたり、奔走するのであるが、最終的に門衛にコネを付けて、裏金を出して脱走する手はずを整える。脱走に関係する部分は、人物描写を含め、随分丹念に描かれている。しかし、いよいよ結構と言うときに、ランベールは出て行かない事に決めるのだ。リウーは、外に行くことが決して悪い事ではない、自分の幸せを求めることが決して悪い事ではないと言うのだが、ランベールはもう自分が街の人間になってしまった、かかわってしまった、こうなってしまった以上、ここで出て行って手に入れる幸せは、不完全なものだと感じるようになっているのだ。
 理解はできるけれど、同じ立場に自分が立ったらと思うと、私は残れないだろうと思う。外には、愛する妻も居るのである。私は年配で、ランベールは若い、と言う事なのかもしれない。

 

5.リウーの母親
 息子から見た母は理想化されていると思う。母なるものへの憧れが、思慕が描かれていると思う。

 

6.倫理観 清潔さ
地中海の強烈な日光に、高い空と白い雲と清冽な空気に、この物語は浄化されているように感じられる。明確な倫理観と、つらい話を描きながらジメジメとした嫌らしいところがなく、さっぱりとしている。それが私には、何よりの魅力であった。もちろん、その倫理観は単純なものではなく、オランの街で言えば、昼間は金儲けに奔走し、夜はカフェで酒を飲む、暢気でいい気な一般市民、おそらく現代日本にも通じる人々の姿に自分もつながるのだ、と感じつつ、しかもその愚かさも理解した上での事である。

 

7.結末
結末のパラグラフ。すごいなあ。小説は題名と始まりと結末が大事と言うけれど、この小説は皆すごい。 結末ではペストに勝ったわけではないと言っている。ペストは死なず、どこかに潜んでいて、またいつか、人間を襲う、リウーはそのことを知っていると言っている。
 ペストは人を、社会を襲う恐ろしい何かの象徴である。2023年の日本人なら、すぐにCOVID-19を思い浮かべるだろうが、戦争であってもおかしくない。無垢な子供たちが苦しんで死んでしまうのは、ウクライナ戦争でも同じである。

 

8.構成・小説技法
すでに幾つか言及したが、随所に工夫がある小説である。小説の世界を成り立たせるため、しかもそこで、登場人物を生かし、登場人物に充分に語らせる、説明ではなく、その人物像を含め、語らせるのは大変な力である。だから、無造作に書かれたものではない。しかもただ技法を洗練させたものではない。小説が一つの芸術として成り立つとはどういうことか、作品そのものによって納得させられたと言う思いである。

 再読したい。