「なにもかも小林秀雄に教わった」 木田元著

木田元は、80歳を超える哲学の先生である。メルロ・ポンティあたりの翻訳が沢山あり、若い頃に読んだ人も多いかもしれない。このところ地味ながらちょっとした木田元ブームが起きているのではないかと思わないこともない。日経新聞での私の履歴書連載、本書をはじめ、新書版での幾つかの、どちらかというと軽めの本の出版、「反哲学」など、既存の著書の再版。「反哲学」も読んだのだけれど大いに学ぶところがあり、別途記事を書きたい。
 さて、本書は軽めの一冊。若い頃からの読書歴を自伝的に振り返りながら、小林秀雄は偉かったな、あの頃の読書界の大本締めには小林秀雄という巨人が居たのだな、と言うように改めて確認するような本。
 木田元ならこの一冊、と言うような本ではなく、昨今の新書バブルに載ったエッセイと言うこともできるが、この世代の、つまり戦後を自らの人生と重ねて生きてきた教養人の読書歴としてみるとなかなか興味深いものがある。
 とくに著者の専門であるハイデッガー小林秀雄の言語観の対比、また保田與重郎(やすだよじゅうろう)と小林秀雄の対比、また木田元の世代にとっての保田というあたりは興味深かった。
日本浪漫派など、サラリーマンの僕には、時折目にするものの、突っ込むには専門的すぎ、本をそろえるのも億劫だったが、コンパクトに説明してくれてあって助かった。幾つか手がかりとなる本も教わったので、いつか読んでみたいと思う。
 木田元の売れる訳は、肩の力の抜けた読みやすい文章のせいだと思う。語られていることは難しいのだが、分からないことはあっさり分からないと書くし、そのあたりが読者には親しみやすいのだ。このあたり、八十にもなってある意味脂気が抜けているという言い方もできるけど。書名についても、後書きでいろいろ思い出してみると、小林秀雄だけって言うわけでもなかった、とあっさり言ってくれるのもかえってほほえましいくらいだ。
 また、漢字の書名・人名にはルビを振ってあるのは新書らしくて親切で良かった。
 というわけで、楽しく読ませていただきました。

なにもかも小林秀雄に教わった (文春新書)

なにもかも小林秀雄に教わった (文春新書)