「天人五衰」 三島由紀夫著 新潮文庫  感想文

 

三島由紀夫の「豊饒の海」最終巻(第4巻)であり、三島由紀夫最後の作品である。
昭和45年の11月25日に脱稿し、その日に、いわゆる三島事件により自決した事になる。
 しかしここでは、文学的な感想のみ述べることとする。
「豊穣の海」は、法律家である本多繁邦を語り手、物語の縦軸、推進力として、輪廻転生の物語を紡いだものであったはずであった。
 ところが、この「天人五衰」では、輪廻転生の言わば4代目の透を本多が見いだすものの、結論を言えば彼は偽物であることが明らかになる。そのことが見えたあとで、すでに老いて死が近いことを悟った本多は、月修寺の門跡となっている「春の雪」の松枝清顕の恋人であった綾倉聡子を訪ねる。
本多は、「春の雪」で物語られた恋の来歴から今に至るまでを語るのだが、
門跡は「その松枝清顕さんと言う方は、どういうお人やした?」と問い、本多を唖然とさせるのである。
 庭に案内された本多は思う。「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった」と。
 作家としての才能と情熱を注ぎ込み、4つの作品を作り上げて最後に叩き壊しているかのようだ。
 私はもう一度、3巻を読み直してみようと思う。1,2巻は随分間が開いたが二度読んで、印象に残っているのであるが、3巻「暁の寺」は読んでいながらその結構を忘れてしまった。そうしてもう一度「天人五衰」の、物語が消えゆく様を見通してみたいと思う。

 さて、この小説の面白さを挙げるとするならば、一つは相も変わらぬ三島の微に入り細をうがったシニックな描写である。ことに七十六となった本多の生活と心理に対しては情け容赦がない。老いというものを作者は憎んでいるようであるし、登場人物である本多自身も若さを憎んでいる。四十代前半の三島は、老いを肯定的に受け入れる気はさらさらなかったのかもしれない。
 四十代の三島が、八十にいたる本多を描き、六十を超えて、老いというものと現実的に直面しつつある一読者たる私が読むと、プロットと一歩離れたところで見ても、一つ一つが身につまされるようなリアリティがあって、苦笑せざるを得ない。
 もう一つ、風景描写について記しておきたい。海や空や月修寺に至る道や、ふんだんな風景描写があるのだが、そしてどれもすばらしい機知や言語能力に富んでいるのであるが、にもかかわらずどこか事務的で詩的な喚起力に欠けたもののように感じられた。
 それはもしかしたら読み手である私の興味のありどころ、感受する神経の働き方のせいかもしれないが、若い頃の作品にはもっと生命感というか、生き生きとしたものが有ったように思われるのである。
 豊穣の海を書いていた時期の三島は、あるいはもう、作品を書くこと自体を見限ってしまって、ただ計算通りに進めることに専心したのかもしれない。
 
 暁の寺を読んでから、もう一度全体を見通して考えて見たい。