「コンビニ人間」 感想文   (ネタバレあります)

文藝春秋を買って、芥川賞受賞作、「コンビニ人間」を読みました。
私は芥川賞受賞作を掲載した文藝春秋を買うのがわりと好きです。特に選評を読むのが面白い。当たり前ですが、評価は人それぞれと言うところがあって、良い点悪い点を選者がそれぞれ語っている点が面白いと思います。けれども、今回は、殆どの選者が「コンビニ人間」については、高評価という結果のようでした。選評で見る限り反対は島田雅彦さん一人です。
「火花」に否定的だった奥泉光も、「コンビニ人間」については、傑作と言って良い、と言うようなことを書いていました。

さて、で、私の感想なのですが。
「火花」と比べると、私は「火花」の方がいいです。小説としての欠点、奥泉光さんが言うところの、年下のものが年上のものに憧れ、やがて幻滅するという普遍的というよりも凡庸なパターンの物語にすぎない、かもしれないけれど、火花の方が込められた熱量が高かったように思います。単に、好みかもしれませんが。

一方、「コンビ二人間」の優れた点は、自分の置かれた状況・関わりを持つ周りの人間を客観的にクールに書いている点であると思います。特に店員が入れ替わっている中で、言葉遣いが移っていくと言う観察、そういう環境で自分の言葉も職場に適した形にコントロールしていくと言う辺りは、人間のアイデンティティの揺らぎ・曖昧さに、観念的ではなくごく身近な空間・感覚で触れているようで秀逸に感じました。
 また、コンビニの仕事をマスターしていく事により、自分が社会の中で必要とされていると自覚し、そのことが精神的な安定をもたらし、生きる喜びにもつながっていると言うところは、一サラリーマンである私にも、実感を持って感じられるところであります。けれど、主人公が、そういう自分が「歯車」である事をはっきり自覚し、バイト店員であること、すなわち、正社員・非正規社員という殆ど明示的な階層の下の部分に属していながら、そのこと自体への不満や、反発や、脱出の欲望を感じさせないのは、驚きでありました。
 現代の多くの会社においては、確かに「歯車」というべき労働者が大部分で、経営上の意志決定を本当に行っているのは全体から見れば、階層の上部のごく一部の人間であるけれども、なるべく末端の社員にとっても「人間的」で「やりがい」のある職場したい、とあの手この手の手段を使っているわけです。「歯車」である事は敢えて言えば明瞭であるけれど、公平・平等、努力すれば報われる、という社会の建前になるべく沿おうという努力はしている訳です。そうして社員を少しでも不安なく包み込もうとしているのです。
 しかし、そのような手段こそ、この主人公にとっては、余計なお世話なのかもしれません。なぜならこのような手段はしばしば、何が嬉しいか、何が幸せか、と言うことに対して、鉄板の通俗道徳的価値観を土台として、強烈な同調圧力をもって迫ってくるものであるからです。いわく、女性は適当な年齢で結婚した方が良いのであるし、子供ができることはめでたいことであるし、男性は仕事を楽しく張り切ってやって、付き合いの酒もほどほどにこなし、接待ゴルフも上手にできればなお結構。ゴルフやるの、楽しいよね、酒飲むの楽しいよね、ってわけです。念のために書いておきますが、そのような事が本当に楽しい、幸せな人を否定しているわけではありません。問題は同調圧力なのです。私たち大部分が楽しいから、あなたも楽しいよね、楽しくなければ、あなたおかしいよ、仲間じゃないよね、という非常に強力な、しかし殆ど無意識な圧力が、やはりあると言わざるを得ません。
 そのような、圧力に主人公はなるべく同調しようと努力するのですが、注意するべきは、主人公は自分を変えようとはしていないことです。主人公がするのは、言わば非常にテクニカルな、今の自分を保ちつつ、なるべく社会と軋轢を生まないための努力であって、社会に適応するための、「治る」ための努力ではありません。その点において主人公は非常に頑固です。しかし、そのような自分に立ち入ってくる他人には、一切の攻撃性を発揮しません。無関心、もしくは自分との距離感に唖然としている、だけです。

 仕事についてもう一言付け加えると、私自身の若い頃の思いとして、「ロボットのように仕事ができたらいいな」ということがありました。一定の材料を与えられたら、一定のやりかたで、一定のアウトプットを出す。自己評価も上長の評価も明瞭で、分かりやすい、感情的ストレスのない職場を夢見たものでした。
 ところが、仕事というものは、多かれ少なかれ、無数の解読不能な情報が乱れ飛び、変容し続ける状況と情報に随時対応していかなければならないようなものであって、人間関係もその中にもちろん含まれます。しっかり仕事をしようとすればするほど、その粘液質の空間の中に身も心もずぶずぶと浸して行かねばなりません。だとすれば、把握可能な仕事の範囲で、自己が「歯車」としてぴたりとはまる事に悦びを感じる主人公は、そのような限定した世界にひたり、その範疇で自己を社会と結びつけているわけで、やはり意外に私に近い存在なのかもしれません。
 
 もう一人の、しょうもないアルバイト、幼稚な論理を振り回して自己を正当化し、しかしいざとなるとちっとも仕事のできない、やる気もない、だらしない、金も根性も無い、しかし妙に場の雰囲気は察知する能力のある男。主人公に引っ張り込まれて、同居するようになると、手前勝手な論理にさらに磨きが掛かって主人公に仕事を辞めさせ、新しい仕事に就かせて寄生しようとする、書いているだけで厭になりますが、この男の描写に思わず苦笑してしまうようなリアリティがある事を認めざるを得ません。会社の中には絶対にいて欲しくないタイプの人間です。その通り、彼はコンビニも首になりました。ただ彼のような殆ど見捨てられたような生き方を唯一の生存戦略とする人が、今の世の中には確かにいる、と言うことを感じます。彼もipadは持ってますしね。世捨て人というわけではない。このような人がむしろ沢山いそうだ、ますます増えそうだ、と感じられます。

 と言うことで、僕個人としては、主人公に違和感はありながら、同時に主人公の姿は、今の日本で、あなたであり、私でありえる、と言うことも否定できません。そういう姿をコンビニという現代的な場で、平熱で描いた本作が大変に面白い、且つ興味深い文学作品である事に同意します。