エイリアン2 1986年

監督ジェームズ・キャメロンターミネータータイタニックを監督した人ですね。 主演 ご存じシガニー・ウイーバー(最近名前を聞きませんね。) 内田樹先生が「エイリアン」の物語分析をその著書でしているが、(確かめずに書いて申し訳ないが、女性蔑視というテーマで貫かれているということだったと思う)この続編は、あえて一言で言えば、「母は強し」と言うことになるだろうか。
 物語は、前作の57年後。冷凍睡眠から冷めた主人公リプリーは、再び海兵隊を模したような小部隊とともに、エイリアンの待つ星に向かうのだが、住民は殲滅状態、ニュートという少女だけが無事に生き残っている。
リプリーは以後ニュートの保護者となる。兵士達が次々にエイリアンに襲われる中、当てにならない新米指揮官を突き飛ばして、リプリーは武器をとり、突進する。
 エイリアンは、邪悪で、気持ち悪く、ぬらぬらして、危険きわまりなく、意思の疎通など不可能で、悪意しかもっておらず、断固として排斥すべきものとして描かれている。それは、僕たちが人生でぶつからざるを得ない、不可解なもの、敵対的なもののシンボルである。
 そして、リプリーは、ニュートを守り、助けるためなら、全くひるむことなく命がけで立ち向かい、ついに勝利するのである。
 ラストで、ニュートはマミーと言ってリプリーに駆け寄るのも宜なるかな
 特殊効果など今となってはやや稚拙に感じられる部分もあるが、じらしてがつんと来るジェームズ・キャメロン演出はタイトで壺を心得ていると言うべきか。
 でも、僕の好みにもよるのだろうが、今ひとつ感情移入して見ることができなかった。今や、SF娯楽映画としても単純すぎると言うことなのかな。