ハーモニー 感想文   伊藤計劃著

虐殺器官を読み、圧倒された伊藤計劃の遺作である。
先頃、米国でフィリップ・K・ディック賞において、
特別賞?か何か受賞し、改めて文庫版が出版された。
僕は虐殺器官を読んだ折、著作を探して、ハヤカワJシリーズ
のものを買って、つん読しておいたものを暫く前から
読んでみました。

プロットは単純である。社会が人間の健康にもっとも価値をおき、
健康な身体を社会的リソースとしてお互いに尊重することが
至上の命題となった未来の話である。

そのような社会に適応できない少女たちは死をもって反抗しようと
するが、失敗する。

大人になった彼女たちの一人は、その社会の螺旋監察官(説明省略。
まあ、特別な権限を持ったCIAみたいなイメージ?)として
辺境で生きることによってなんとか生き延びている。
 やがて起こった6000人を超える同時自殺。
友達を目の前で亡くした彼女は、螺旋監察官としての権限を
フルに活用しながら、真相に近づいていく。

 しかし全編を通じて語られるのは、社会を、人間を救わんがために
行われる様々な施策が、人間の個を損なう事への圧倒的な嫌悪感・
絶望感である。健康で居続けるために体内にWatchMe と呼ばれる
監視デバイスを流し込み、常に生府(政府ではない)とリンクして
モニターされ、殆ど病気を克服し、健康に良くない習慣を駆逐した
社会、個人情報を殆どネットを通じてお互いに開示し、安全を優先
させた社会。生きていくことを極限まで外注化した社会。
 これは、現代社会に対する苦い認識をSF的に展開したものに
他ならない。そして僕はそのような認識に深い共感を覚えるものだ。
 このような社会では、人間に「生活はあるが人生はない。」
(これは私の言葉です)
伊藤計劃ならずとも、そのような思いを抱いている人は多いだろう。

 もう一つ、この小説の殆ど哲学小説と言っていいような側面。
それは、生命作用を外注化する事の極限の表れとしてそもそも意識が
必要なのか、という問いである。意識がなくても人間が生きていける、
動物のように、と有る登場人物か語る。ここは生命の外注化という
イデアに深く関わるとともに、小説のプロットにも深く関わる点で
ある。深く考えるに足る重要な点である。

 さて、小説のできとしては、もちろん僕は大変熱中して読んだのだが、
もう少し熟していれば、と思う点もある。例えば素晴らしいアイデア
ちりばめられた文章の連なりが、なぜか頭に入ってこないということが
何度もあった。僕の側の問題もあるだろうが、作者が頭の中で迸る言葉
を必死に書きつけて行ったまま、冷静な推敲が今ひとつ足りないような
気もしたのである。
 作者に余裕があれば、もっと磨いていくことができたかもしれない。
 もっとも充分水準を超えていることは付け加えておく。
 それにしても、作者の夭逝が惜しまれる。いくつもの書かれうる傑作が
有ったに違いない、と感じさせる作家である。
 伊藤計劃を読まずして、現代SFを語るなかれ。

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)