感想文 「虐殺器官」 伊藤計劃著 2010年7月4日読了 その1

近未来軍事オタクSFドンパチ小説。そんな風に言うこともできるかもしれない。正直のところこの小説は読者を選ぶと思う。宮部みゆきは早川文庫版帯に3度生まれ変わってもこんな小説は書けない、と賛辞を寄せているが、これだけ軍事的な知識が必要とされる小説を彼女はそもそも書こうと思わないのではないだろうか。

伊藤計劃は、1974年生まれの日本人である。この小説の主人公はアメリカ人であって特殊部隊に属する軍人である。
その隔たりを作者は見事に越えてみせる。SFというジャンルの持つ膂力と、おそらくはすでに日本人が戦後のアメリ外交政策の中に組み込まれているという世界観と、僕たちの世界が2001年の9.11のテロ事件以降ゆがんだまま、ますます緊密に結び付けられていると言う現実認識・皮膚感覚によって。そして、それらに駆動される主人公の、つまりは作者の怜悧な思弁によって。

主人公の罪を背負うことに対する執拗な執着は、現実の僕たちの生活のアンビバレントなあり方を反映しているに違いない。僕たち、21世紀初頭の日本人は、不況に喘ぎ、少子高齢化のもたらす問題に明快な解決策を見いだせず、薄ぼんやりとした不安を抱えている。こう書けばいかにも凡庸なジャーナリズムに溢れた言葉である。しかし、僕たちは徴兵されることはなく、明日の食べ物の供給に大きな不安を覚えることはなく、駅に行けば時間通りに電車が来るはずと思うことができ、新作のハリウッド映画のロードショウを見るために、彼女と携帯で約束を交わすことも出来る。

そのような生活は、作中で作中で主人公の同僚が愛して止まないドミノピザを指をぬるぬるにしながら怠惰に食べる生活と同義だ。だが、その同じ時刻、同じ資本主義の論理が貫く空間で、戦闘が起こり、略奪が行われ、弱きものが容赦なく殺されている事を僕たちは知っている。大事な事は僕たちはもうそのような事どもを、どこか別の世界のことと気軽に思えないと言うことだ。9.11が、二つの世界に対する認識を乱雑に接合してしまったと言えるのかも知れない。もう、ヒューマニスト然としたインテリや、「市民としての想像力」に溢れた文学者でなくとも、日本の若者は、韓国人の女の子を引っかけたつもりでぼられたり、インド人のSEに仕事を取られたり、大手商社資本が計画的に養殖する東南アジア産のエビ天を食べたり、蕎麦屋の中国人の女の子が釣りを間違えないかどきどきしたりしていて、どうやら世界がえらい具合につながってしまっていることを皮膚感覚で知っている。
 だから、本当はテレビで旅番組をみても、前世紀(おお、20世紀)のように無邪気にエキゾチシズムに浸れない。例えば僕は、登場する外国人のギャラの額を考えてしまい、彼の地での賃金水準に想像を導かれたりしてしまう。彼もまた労働者なのだろうから。
 だから、主人公のみならず実は僕たちは皆、僕たちの生活の背後にある「虐殺」を知っている。この場合、知っていると言うことは、それらの死を背負えるのか、と問うことと同義である。

 従って、この小説の主人公が、執拗に死を問い、罪を問い、感じようとし罰せられようとしてるのは必然的である。

もう一つ、この主人公に特徴的なこと。それは現実感覚の希薄さ、模造のような感覚である。それはSFとしての設定、作者のSF的想像力が生かされている点でもある。
 しかし、そこで表現されていること、訴えられていること、SF的手法により析出されているリアリティは、作者の、この時代の現実感覚の希薄さに他ならない。
 ここで、僕は精神分析的なアプローチでこの「希薄さ」を語ろうと思わない。個人の資質にかかわらず、僕たちが誰でも感じるようなもの、むしろ「社会的システム」によって、否応なくもたらされるものだと僕は考える。
 僕たちの「労働」(ここでは、やはり資本主義的な過程における賃労働と言うべきかも知れないけれど)は、集約化され、密度が高められ、効率を上げるためのあの手この手が繰り出されている。僕たちはやり甲斐を、生き甲斐を感じることを半ば強いられ、立派に生きているように思っていながら、実は均質化し、詳細な管理が行われた労働力に過ぎないことにうすうす気付いている。僕たちはコーチングを受け、コミュニケーションの手法を学び、感情のコントロールを学び、欲望の暴発の愚かさを学び、洗練されたセックスを学び、ストレッチをし、サプリを飲み、自分をコントロールしようとする。身体への加工も整形や医学的施術の形でとっくに始まっているし、都会で仕事をしようとすれば防犯カメラと、オフィスのIDチェックは避けようがない。この殆ど暴力的な管理のなかで、僕たちの感覚は希薄になっていく。プログラムされた回路を進むほかない愚かなRPGの主人公のように、僕たちは計算され、ほどよく調整された喜びや悲しみを感じながら暮らしている。
 この小説の主人公とは軍人でないだけの違いしかないのではないか、とさえ思えてくる。
 さて、小説の結末について僕の評価を書こうと思うのだけれど、長くなりすぎた。またにしよう。