「絹と明察」  三島由紀夫 作  

久しぶりに三島由紀夫の作品を読んだ。

金閣寺仮面の告白、禁色、鏡子の家、静める滝、潮騒、豊穣の海、愛の乾き、美徳のよろめき、午後の曳航、宴の後、獣の戯れ、などの長編を若い頃読み、幾つかの短編も読んでいるから、親しんでいる作家と言えるだろうけれど、改めて考えてみるとどれだけ理解できているか、わからない。

今回、「絹と明察」を読んで見て、感じたことを以下に記す。

1.人物に親しみがもてない。感情移入できない。

2.文章は見事。広範な教養、卓抜な比喩、時に人物に食い込んでいくような犀利な描写に、しばしばほれぼれとした。

3.にもかかわらず、この作品においては、三島の文章は乗っていない、と感じた。人物も生きてこない。

3.きちんとテーマ設定して、明確な問題意識を持って材料を集め、思い通りに書き切っているが、(それもすごいことだが)それ以上に立ち上がってこない、という感じ。

4.そこが、かえって、今の僕には新鮮であった。そうか、三島もこんなに苦労しているのだな、と言うような感じ。

5.翻って考えて見ると、今まで読んだ作品は、結局三島の文章に幻惑されて、結局読めていない、三島の込めたものを受け取っていないのではないか、と言う思いを抱いた。

6.時代は随分変わってしまったから、お勉強という形にはなってしまうのかもしれないが、それにしても。

7.未読の長編に改めて、かかることにする。そして三島の苦労を改めて、見極めてみよう。

8.この作品についてもう少し言うと、この最後に死んで行く経営者は、外形的には確かに戦後の日本に沢山排出した一典型だろう。家族、家庭、父という擬制のもとに、本人も良心的に経営を進める。しかし、そこに現れるものを抽象していけば、確かに労働力の搾取なのだ。

 それを肯定する、と言うより、ついに打ち倒すものができないものとして描いている作品と言うことができるのかもしれない。

 しかし、やはり、三島にとってはどちらかというと不得手なテーマであり、本来は文体を変えてくるべきだったのではないか。

2018/04/08