「読まなくてもいい本」の読書案内  橘玲著 筑摩書房文庫

橘玲の本を続けて(と言っても、一冊おきぐらいであるが)読んでいる。この本はその中でも考え方の基本がはっきり出ていて、実に興味深かった。
読まなくて良い本とは、若い人のための読書案内である、とプロローグで書かれている。世の中には膨大な本があり、且つ日々大量に新規の出版が行われている。その中で読むべき本を見つけることは至難の業であるし、実際問題として僕たちは、ごく限られ偏った読書しかできずに一生を終えるしかない。
そうであるにしても、大なり小なり「世界を、その有り様を理解したい」と考える若い人たちがどのように本を読んだらいいのか、どんな本は読まないで済ませて良いのかを、主に1970年代あたりからの思想的流行を糸口に語ったものである。
では、作者はどのように見ていくか。

1.複雑系
 マンデルブロの人生と業績が語られる。その前段として、60年代、70年代のニューアカと言われたはやりの中で、D-G(ドゥルーズ=ガタリ)の難解さが語られる。
DーG。。。懐かしい、と言えるほど読んではいない(殆ど読んでいない)私だが、著者と同世代なので本屋で背表紙を眺め、友人が口にしていたの覚えている。著者は難解な著作をとにかく傍線を引きつつ読み切ったという。それだけでも脱帽する。
 しかし、著者によれば、DーGの本は読まなくていい。なぜならそれ(D-Gが提唱したリゾーム)は、後年マンデルブロらが提唱した、複雑系のスモールワールドのことなのだから。
 そしてマンデルブロがいかに流浪の旅を続けながら、複雑系という新たな知の地平を切り開いていったかがコンパクトに語られる。

2.進化論
ダーウインの進化論が革命的著作であり、猿から徐々に進化してホモサピエンスたるわれわれまで進化した、というぐらいの知識は誰でも持っているだろう。私は、「星を継ぐもの」という名作SFなどをきっかけに進化人類学を紹介する新書を読んで、現代において次々に従来の学説が塗り替えられ、学問がダイナミックに展開している分野として、それにより人間観・歴史観が揺さぶられる学問として興味を持ったが、それだけでは一般的常識に毛が3本生えたようなものだろう。この本では現代進化論を「10分」で説明している。また、それが時に不愉快な学問であり、文化的な闘争を生み出してきた経緯を述べていく。そして、ヒトの身体が進化によってつくられたのと同じように私たちのこころや感情も進化によって生まれた、と言う認識が語られる。

3.ゲーム理論
キューバ危機を題材にゲーム理論が語られる。また囚人のジレンマにおいて、一発勝負ではなくて繰り返し行われる場合にはシンプルな、基本的には信頼するが裏切られたら相応の仕返しをするという戦略が最も勝利の確率が高いという研究が語られる。これは人間関係にそのまま応用が効きそうな話だ。さらに行動ゲーム理論、経済学への影響が語られる。

4.脳科学
哲学は今まで何をやってきたのか。認識や存在論は何を語ってきたのか。それらが科学の発展によって覆されたとき、フッサール現象学を唱え、私をさらに括弧に入れるエポケーを唱えたが、著者の判断は明快で、そんな事できるわけない、ということだ。
確かに自己の心理操作、思考操作で純粋自己に至るというのは無理でしょう。丁度、エミール・ゾラが、文学において人間の行動の科学的実験をすると言って膨大な作品を書いたことと時代的にも一致するかもしれない。中村光夫は当然こんな試みは無理、今残っているゾラの作品は、彼の詩魂が感じ、表現し得たものだけ、と言うような事をいっていたけれど、フッサールも同じことなのだろうか。
さらにフロイトは無意識の発見は偉大だとしても、大間違いをしていたのだし、ラカンの難解さに首を捻る必要もない。脳科学の進歩が、より科学的に、こころの秘密を解き明かしつつあるから。
ここで、著者は社会科学は、自然科学に統合されていくとのべる。

5.功利主義
功利主義の特徴は、幸福が計量可能と考える事で、これを効用とすればその最大化を目指す考え方だ。
 ここでも正義論、ロールズやセンの学説、ナッジ、リバタリアンパターナリズムなどなど最近の言葉が次々に語られる。それらを図式化して整理したうえで、著者が語るのは、猛烈なテクノロジーの進歩とその応用による社会の変化、人々の考えの変化をよく認識した上で、それを利用し、よりよい方向に向かうように積極的に利用し設計していくべきだと言うことである。

さて、漸く私の感想を書くところである。
1.すでに書いたように著者とは同世代なので、世界の思潮というのは耳にしていながらちんぷんかんぷんであった、もう少し言えば、自分の存在、自分の世界とどう関わってくるのか、どうしたらその関わりに確信がもてるかまるで分からずにいたが、少なくとも、D-Gなどバッサリ切ってくれたおかげで、そして切るだけではなくその後のパラダイムの変化のなかで位置づけてくれたおかげでとてもすっきりした。

2.進化論等科学的な新たな知見がもたらす都合の悪い真実、例えば実は民族・人種によって運動や、様々な知的分野において得意不得意があるということが、イデオロギー的に受け入れがたい場合に激しい文化敵闘争を引き起こすと言うこと。そして、それは自由・平等・という近代社会の基本原理に抵触するものであるから、誰も(私も)逃れられない闘争である事。とすれば、科学的知見を慎重に、しかしリアルに認識した上でそれを元に考えていくという方向を唱える著者は正しいとおもう。が、それがとても難しいことだとも認識する。なぜなら、一人一人が築き上げてきた世界に対する認識を変えていくと言うことだろうから。

3.それぞれの章末にあるブックガイドは有り難い。自由な時間が増えたら活用したいと思う。

4.経済的自由主義のグローバルな進展と本来的に価値中立的なテクノロジーの進展によって私たちはおそろしい加速度で新しい世界に突入しようとしている。それがもたらすものは共同体的な社会の分断、個人の孤立、経済的格差の極端な拡大、テクノロジーに依拠した、肌に、こころの内面に貼りつくようなきめの細かい管理社会の到来である。著者はそれらの負の側面を見ながら、それでもテクノロジーの進歩によってもたらされるマーケットデザイン、社会のデザインでよりよい社会をもたらすことに可能性があり、そのことにかけるしかないとする。私はそれに消極的ながら賛成せざるを得ない。なぜなら、この社会から逃れて純粋な生活を求めても、一人でやれば山奥の焼き畑農業者、小集団でやればカルトになりがちであり、宗教はしばしば世俗化して現世の追認に終わり、あるいは、ただ来世の救いを目指すようになり、向日的なヒューマニズムはエゴイスティックな自己満足と紙一重であり、一人一人の実践もすさまじい勢いと効率性で進む経済活動の前では蚊の足掻きほどの効力しかもたないように思えるからだ。
 ではどのように?

5.自由や平等や、民主主義や、豊かな経済は、絶対に手放したくない、しかしそれらがほぼ必然的にもたらす様々な軋轢、問題を語る上で、それらの思想的な基盤、付置を明快に整理・図式化し、さらには未来への展望を示した点で私には大いに価値があった。これから何度も開き、確認しながら読んでいる本の位置づけの見当を付ける、と言うことをするようになるだろう。
 とは言え、私はマルクスフーコーや、時に聖書を読むことの価値を否定しない。突出した書物にぶつかってみて、自分の知的限界を試してみるのは悪い事ではないだろう。そして、自分のことばで、その戦闘(大体は負け戦であろうが)記録をものすことは、頭を鍛える上で役に立つのでは。若い人ばかりではなく、例え還暦をすぎたベテランにとっても。