音楽  三島由紀夫 作

再び、三島由紀夫作品について。三島熱は、まだ続いている。「音楽」は、三島の主要作品とは捉えられていないようだ。「音楽」とは女性の性的オルガズムの謂いであって、不感症の美しい女性が、精神分析医に治療を受ける過程が分析医の手記の形で小説となっている。ここでは、精神分析学の知見(フロイト、ビンズワンガー、ユングなど)が全面的に取り入れられ、一方で三島の文学的冒険は抑制され、文体は三島らしい修辞の少ない、言わば一般的な文体になっている。主人公の女性の不感症、冷感症の根底には、今は音信不通となっている、堕落してしまった兄との近親相姦的関係があるのであって、物語のクライマックスは、三島らしい強引な設定ではあるが、神話的な聖化が行われた近親相姦の場面である。やがて物語は医師に導かれて兄との再会と対決を果たした主人公が呪縛を解かれて、恋人との行為によって音楽を聴き始める事ができるようになったところで終わる。トラウマが、肉体の原初的な感受性さえ抑制し、それを解くにはつらくともその原因との対決と克服が必要というのは、通俗的精神分析の理論のように思える。三島はそういう機械的な理論は嫌いなはずであるが、ここでは、意識的にその理論に乗って、それでも一編の作品がかけるという技を見せているようにも思える。

しかし、この小説の眼目は、三島の強引な主人公に対する性格の設定、自己犠牲の中に幸福を見いだし、音楽を聴く(この場合の音楽は拡大解釈されうるけれど)主人公の造形と、とくに兄に犯される場面の、言葉の力による純化、聖化であると思う。それが成功しているかどうかはともかく、三島はそこにこの作品の成功をかけたのであり、やはり凡百の作家ではなしえない力業を発揮していると考える。確かに重要作品ではないかもしれないが、やはり、極めて三島的な作品である。