「最低。」 紗倉まな作  感想文


 紗倉まなはAV女優としてすでに長いキャリアをもち、活躍しているが、エッセイ、SNSの様々なメディア、yuutubeなどで、積極的に情報発信をしている。そして小説も発表しているので、興味を持った。AV女優であって、作家であってというところについて、あれこれ考えてしまうところはあるが、そこを書き始めると長くなるので、またあらためてと言うことにする。もちろん、AV女優としての体験なくしては書かれなかった作品かもしれないが、以下は、あくまでも小説としての評価、感想である。
 さて「最低。」を読んでみると。
 第一章 彩乃
 家族の中で、一人だけ美しくない(と本人が思い込んでいる?)ために疎外感を抱いている彩乃がAVにデビューし、やがて家族にばれる(身ばれという業界用語があるらしい)ことで、家族(母と姉)との間に生じる葛藤が主題であり、一方で、バーで出会った男性との恋愛が描かれる。母と姉とは、身ばれ以前に、そもそもコミュニケーションが成り立っていない。彩乃はこれと言った目的意識も、向日的な性格の明るさも感じられず、本来学校を含め、社会において危機に陥った個人のセイフティネットであるはずの家族とのつながりも殆どだちきられているのである。そのような状況での身ばれは、家族が世間のAV女優をさげすむ価値観をそのまま内包しているだけに、ただ不快でストレスフルである。恋愛もそのような彩乃を救うだけの浮力を持たず、ただ、ただよっていく。
 彩乃の人物描写は重い内実が感じられる。一方で、家族の描写はやや劇画的か。しかし、家族というものの内実の希薄さ、時に現れる残酷さ、常識的な思い込みとの乖離はリアルだ。
 第二章 桃子
 4編のなかでは、僕には一番わかりにくい作品だった。桃子の結末での行動が唐突に感じられた。それを言えば、そもそも石村の行動も唐突なわけであるが。いかにも人を騙しそうな福渡という人物がパターン通り騙して行方をくらます、というところ、石村がこの世界で生きていくと言うことをはっきり決めるという心の動きが見えにくいところ、をもっとこってり書いて欲しかったというのは、僕の好みの押しつけすぎか。しかし、いかにもなパターンに依るなら、それだけ細部の書き込みが必要なのではないだろうか。もっとも、僕にとって遠い世界のことだから、それだけ物語に入れなかったと言うことかもしれないが。
 第三章 美穂
 ということから考えると、セックスレスに陥った三十代後半の既婚女性がAVに走る物語は、僕にとってもわかりやすい。疲れた夫、かつてとは変わってしまった夫、太って、かつてはなかった加齢臭を発し、仕事に追われいつも疲れていて、性的嗜好も変わってしまった夫、子どもを欲しいという切実な要求にもまともに取り合おうとしない夫、の姿は類型でありながら、細かい描写が効いて説得力がある。主人公のやむにやまれぬ閉塞感もやるせなく、心に迫る。
 第四章 あやこ
 部隊が金沢、と言うところでまず驚いた。確か作者は、好きな街として金沢を挙げ、数回訪れたことがあると、何かの文章かSNSで語っていたと思うが、数回の訪問でこれだけ舞台として使えるのはたいしたものだと思った。
 この小説は、三代にわたる母子家庭に育ったあやこを軸に進むが、あやこの母が美しいのに、まるで生活意欲がなく、やがて若い頃にAVに出ていたと言うことがあやこの周りで噂になるという身バレのつらさが、娘の立場から描かれる。一方で結末では、不在であった父が現れ、大人になると、そういうことがたくさんあるんだ、といわばありきたりの大人の事情で、母のAV出演を止められず、そもそも家庭がありながら、母を愛したという矛盾したことを言う。あやこはそういう大人の事情を納得しないし、鋭く批判するが言葉にはださない。ただ、そういう父を見ながらも進もうとする、生きようとするところで小説は終わる。
 この第四章は、最も小説的展開があって、その意味で読む楽しみがあった。金沢という舞台、三代にわたる親子関係のあり方、幼いあやこが大人になるまでの時間的経過、成長過程が描かれていること、最後に父が現れて物語が展開することなど、達者なものだ。
 一方で、例えば、最後の一行でチック症状をだして、伏線を回収しつつ、結末をきちんとつけるところなど、いかにも小説的技巧が凝らされ効果的なのだが、上手すぎるというか、技が見えすぎ、という感じがしないでもない。ただ、それは、僕が紗倉まながまだ小説の初心者のはずだという思い込みがあるからで、それこそが偏見なのかもしれない。
 総じて言えば、紗倉まなはこの作品集で大物の片鱗を見せたといえるだろう。もっと洗練され、もっと深みを加え、もっと小説としての面白さを堪能させてくれる作品を書いてくれるのではないか、と思わせるだけのものがある。
 そして、面白いだけではなく、なにより突き刺さる言葉、紗倉まなならではの言葉を感じ取ることができることが、やや大げさな言い方であるが、文学としての喜びを感じさせてくれたのだった。それは、例えば、第4章の、父が発する大人の事情に対するあやこの鋭い批判である。単なる怠惰や、不道徳、自堕落が大人の事情として隠蔽され、許容されるなら、大人などと言うのは下衆だ。しかしその下衆が力をもち、自分の存在にのし掛かっているのが若者にとっての世界である。チックも出ようというものだ。このようなストレートな批判は若い、今の紗倉まなであるからこそ書けたものであろう。大人になってしまえば、下衆であらざるを得ない事情を書くことにもなり、それはそれで、文学たり得るとおもわれるけれど。次の作品も発表されており、読んで行こうと思った。