「サヨナラ 学校化社会」 上野千鶴子  ちくま文庫

小説から少し離れて、久しぶりに上野千鶴子の本を読んだ。彼女の本は、一般向けの対談本などを数冊読んでいる。僕はフェミニズムはよく理解していないが、(上野によれば、男性は当事者性がない、と言うことだから、悩むこともないが、そして、当事者性がないのはいかにももっともであるけれど)とにかく、上野千鶴子の本は面白い。とても頭のいい人が、真剣に問題に取り組んでいる時のスリリングな読書の快感が上野先生の本にはある。まあ、すべてを読んではいないわけだが。やはり、フェミニズム系の本の、現社会の価値観をガシガシ揺すぶってくれるところが面白いのだと思う。

この本で印象的だったこと。

1.上野先生は、偏差値底辺高から東大の先生になったわけだが、生徒はおんなじではないかという発見をしたというところ。いわゆる偏差値秀才が東大にはいるわけで、すごい才能が溢れているわけではない。これは、受験技術が進歩した中で、かえって東大に入る人材がならされてしまって、突出した人間が少なくなってしまったと言う事かもしれなくて、この手の話は、随分前だが、ある東大の理系の先生にも聞いたことがある。

2.かつては、学校の価値観は、家庭や地域社会と必ずしも一致せずそれが、多様な生き方を子どもに教えていた面もあったが、今では偏差値教育が行き届いて親や、祖父母の世代も偏差値でものを図る価値観を内面化しているので、学校化がどんどん進んでいる。

3.かつて、京大の教育方針は、ほったらかし。時々すごいやつが勝手に勉強して出てくる。

4.偏差値4流高でも、生のデータにあたり頭をつかう訓練をするといい成果をだす生徒もいる。東大より打率が高い。

5.教師はサービス業と心得て、教えてきた。

この本での上野先生は、戦闘的なフェミニストと言うよりも経験豊富なよき教師としての相貌を現して意外の感に打たれなくもない。

 また、学校化した社会が高度資本主義社会が求める、明日の利益のために今日我慢して一生懸命働け、という行動原理に貫かれ、それは偏差値による序列付けと良くマッチングし、加速していると言うことを指摘するが、まったくその通りと感じた。そもそも偏差値というのは品質管理の手法だものね。メーカーに就職すれば、いやというほど付き合うことになります。

 しかし、そんな生き方、経済のあり方自体が行き詰まりつつある事は誰も感じ始めていることであって、若者も、あるいは老人も、意識せずに、生き延びるための方策を採り始めているのではないか、好きな事だけをやる生き方というのもそういう動きの一つなのではないか、などとも、共感しつつ感じた。

そのほか、定年後の生活に対するヒントめいたもの(時間は一人では潰れない、とか)も沢山あり、実に刺激的な本であった。