美しい星  三島由紀夫作

三島由紀夫のマイブームはさらに続いている。「美しい星」は初読であった。小説を作る方法論から言えば、これはSF的手法を用いた小説と言えるだろう。主人公は、北関東に住む裕福な一家である。一家の主は、旧制の大学を出た後、これという社会的な働きをせぬうちに中年となって、しかし、あるとき自分が地球人ではない、と言うことを悟り、そこから順番に一家は地球人ではないと言うことを自覚し、(火星人だったり、金星人だったり、木星人だったりするのだが)そのように現実世界の制約を一つ外すことで、世界は一気に宇宙人が俯瞰する世界になり、現実的描写が、宇宙人の視点からの皮膜を掛けられて2重の意味を持たされていく。冒頭の一家が苦労して山に登り、空飛ぶ円盤の飛来を待つが徒労に終わる場面の綿密な描写は、三島由紀夫の熟練の腕が示される部分で、小説として誠に面白い。

娘の愚かしい、しかし宇宙人としては純粋で信念を貫いた妊娠、息子の対抗する悪の宇宙人らしき政治家との交わりなどの複数の展開はあるものの、この小説の白眉は、東北出身の(と言うのも可笑しいが)3人の悪の宇宙人が、主人公を訪れて、延々展開する人間論であり、歴史論である。小説の時代背景は、水爆実験が行われ、核の脅威、人類の滅亡が現実的なものとして意識された時代である事が強く影響していると感じられる。ここでの議論で、三島は、小説としての体裁などかなぐり捨てて、小説作法上のリミッターを外して議論を展開しているのではないだろうか。

一口で言えば、醜悪で、愚かな人類は滅びるほかない、と言うことを盾の両面から語っている。ここでは、三島は己の知見と、知力を尽くして議論を展開しているのである。

そして、結末では、これは、作者の主人公への愛というべきであるかもしれないが、死の病に伏した身体を押しての難行の果て、辿り着いた場所に、一家の期待通り、空飛ぶ円盤が現れるのである。

三島の小説としては、主要作品とは思われていないのかもしれないが、人間観、歴史観が極めて三島的な形で読み取れる小説と言えるだろう。

現代は、三島がこの小説を書いた時代に比して危機が治まったか、と言えばそうではなく、核弾頭の数は増大し、そのほかの兵器も比較にならないほど進歩し、テロはグロテスクなほど日常化し、にもかかわらず人々が笑って暮らしているとすれば、ただ、鈍感になっているだけなのかもしれない。

読みやすい作品ではないが、小説的に楽しめる部分は充分あり、そしてこれも確かに文学だと感じた。